今日のエッセイ-たろう

フレーム(建前)が生む安心感。 2022年7月14日

youtubeやニコ生が登場してからずいぶんと時がたった。さらに、Netflixとかアマゾンプライムとか、オンデマンド動画が定着した。で、テレビはオワコン。なのか?

評論家でも研究者でもないから、語ることはほとんどない。それこそ、テレビやSNSなどで言われていることを見聞きしたくらいのものだ。もうテレビの時代は終わりってね。その理由は、リアルが感じられないっていうのが多そうだね。ヤラセみたいなのがあって、似たような番組が多くて、テレビは見ていてつまらない。みたいな感じ?

へえ~。そう感じている人がいるんだね。という感想。

似たような番組ばっかりだ。という部分は、確かにそうだとも感じる。同じ時間帯に、わざわざ同じような番組をやらなくてもいいのにって思うんだろうけど、ニーズがあるのだからしょうがない。出勤前にニュースを流しておきたいという人が多いのかな。だから、朝はニュース番組ばっかり。だけど、それだけだとつまらないから独自色を出そうとして、3面記事を拾ってきて構成するようなバラエティ番組の要素を含ませている。といったところなのかな。どうなんだろうね。ただの妄想。

これって、ネットの世界でも似たようなもんだと思うんだよなあ。もちろん、チャンネル数はめちゃくちゃ多いからね。なにせ、素人が参戦してるんだから。地デジとは桁が違う。けど、人気のチャンネルって、似たような方向性で作っていることとが多いのかもしれない。構造的にはテレビと同じなんじゃないだろうか。ニーズがあるものが伸びるし、増える。そりゃそうだろう。当たり前のことだ。

ヤラセが少ない。とうのもどうなんだろうな。チャレンジっぽいものは、けっこうヤラセ多いんじゃないかな。台本をきっちり書いていないだけで、だいたい流れは決まっているとか。そもそも、創作というのはそういうものかもよ。映画を見てヤラセって言わないように、だ。クイズ番組という即興演劇をやっていると思えば、なんの違和感もなく見られるよね。テレビはそういうものだと思って見ている。

テレビの作り込みって、凄いよね。尊敬する。企画自体が面白いかつまらないか、それはあるよ。それは別として、作り込みはスゴイと思うんだ。あれ、一定のフレームワークが機能しているわけじゃない。ある種の建前みたいなものがある。もうね。安心感がスゴイ。

良い表現が思いつかないな。

そうだ。マッサージでどうだろう。例えば、体のどこかが痛いとするじゃない。筋が張っているとか、骨格が歪んでいるとか。なにかしらの異常があるんだろうね。本質的に改善したいのだったら、骨格を正すようなことをしなくちゃいけないし、筋肉量が足りない場合には運動も必要になる。なんだけど、とりあえずマッサージを受けておけば「気持ちいい」でしょ。良いんだよね、それで。本質的な改善ではない、ということは理解した上で「その場の気持ちよさ」を受け取る。というのも、立派なコンテンツなのではなかろうか。

というような感覚をテレビから感じるのだ。それが安心感。

テレビ番組は、昔とは確実に変わった。たしかに変わったと思う。技術の話じゃなくて、やれることが変わったように思える。つまりフレームが変わったのだろう。たぶん、基本的には、以前よりも出来ることが増えているのじゃないかと思う。正しくない日本語を使うことも許容されるようになったし、多少の暴力的な表現は許されるようになった。お笑いにしても爆破シーンにしてもね。一方で、下ネタは厳しくなっている。政治的なところはよくわからん。

これは、興味深い現象だと思う。ある部分はフレームが広がっていて、ある部分は縮小している。

フレームが広がった部分は、表現の幅が広くなって良さそうに見える。けれども、創作する方は大変だろう。フレームが小さい頃は、ギリギリを攻めたり、たまに超えてしまうことがあって、それが視聴者にとっての刺激になっていたとも言えるかな。だとすると、広がったフレームの限界を攻めるのはかなり危険な状況になっている。現代におけるフレームは、社会規範のギリギリまで広がっているから。

テレビ的には、ここまで。だけど、一般的にはもうちょっと許されるよね。というバッファがない。だから、超えた瞬間に社会的にアウトになる。建前と本音がくっついちゃったみたいに見えるんだ。これって、刺激という意味においては大変なんだろうなあ。みんな慣れてしまっているから。

フレームが縮小した部分については、もう身動きがとれないかもしれない。もう、フレームに触れただけでもブザーが鳴り響く。だから、余裕をもって内側に収まるしか無いか。

フレームという概念は面白い。急に思いついて、書いているうちに興味深いことに気が付いた。フレームサイズは、一体誰がどのように決めているのか。世間によって決まっていくものなのか。適切なフレームワークは、安心感を生むし、周辺社会を円滑に機能させる力を持っている。一方で、締め過ぎれば窮屈になるし、緩すぎても動きは鈍くなる。

これは、社会構造も精神的な面でも同じことが言えるかもしれないぞ。建前と本音というのは、このことか。本音ばかりが全て良いというわけじゃない。だから、建前があって、そのおかげで社会は機能しているとも言える。これ、文化にも同じことが起きているのだろうか。食も文化のひとつだとしたら、どのようなことが言えるのだろうね。

今日も読んでくれてありがとうございます。ここ最近は、思考が発散しがちだなあ。言いたいことがまとまらずに、ぐるぐると螺旋階段を地下に潜っているだけのような感覚。少し、思考を寝かせておくか。熟成しているうちに、なにか生まれるかもしれん。

タグ

考察 (300) 思考 (226) 食文化 (222) 学び (169) 歴史 (123) コミュニケーション (120) 教養 (105) 豊かさ (97) たべものRadio (53) 食事 (39) 観光 (30) 料理 (24) 経済 (24) フードテック (20) 人にとって必要なもの (17) 経営 (17) 社会 (17) 文化 (16) 環境 (16) 遊び (15) 伝統 (15) 食産業 (13) まちづくり (13) 思想 (12) 日本文化 (12) コミュニティ (11) 美意識 (10) デザイン (10) ビジネス (10) たべものラジオ (10) エコシステム (9) 言葉 (9) 循環 (8) 価値観 (8) 仕組み (8) ガストロノミー (8) 視点 (8) マーケティング (8) 日本料理 (8) 組織 (8) 日本らしさ (7) 飲食店 (7) 仕事 (7) 妄想 (7) 構造 (7) 社会課題 (7) 社会構造 (7) 営業 (7) 教育 (6) 観察 (6) 持続可能性 (6) 認識 (6) 組織論 (6) 食の未来 (6) イベント (6) 体験 (5) 食料問題 (5) 落語 (5) 伝える (5) 挑戦 (5) 未来 (5) イメージ (5) レシピ (5) スピーチ (5) 働き方 (5) 成長 (5) 多様性 (5) 構造理解 (5) 解釈 (5) 掛川 (5) エンターテイメント (4) 自由 (4) 味覚 (4) 言語 (4) 盛り付け (4) ポッドキャスト (4) 食のパーソナライゼーション (4) 食糧問題 (4) 文化財 (4) 学習 (4) バランス (4) サービス (4) 食料 (4) 土壌 (4) 語り部 (4) 食品産業 (4) 誤読 (4) 世界観 (4) 変化 (4) 技術 (4) イノベーション (4) 伝承と変遷 (4) 食の価値 (4) 表現 (4) フードビジネス (4) 情緒 (4) チームワーク (3) 感情 (3) 作法 (3) おいしさ (3) 研究 (3) 行政 (3) 話し方 (3) 情報 (3) 温暖化 (3) セールス (3) マナー (3) 効率化 (3) トーク (3) (3) 民主化 (3) 会話 (3) 産業革命 (3) 魔改造 (3) 自然 (3) チーム (3) 修行 (3) メディア (3) 民俗学 (3) AI (3) 感覚 (3) 変遷 (3) 慣習 (3) エンタメ (3) ごみ問題 (3) 食品衛生 (3) 変化の時代 (3) 和食 (3) 栄養 (3) 認知 (3) 人文知 (3) プレゼンテーション (3) アート (3) 味噌汁 (3) ルール (3) 代替肉 (3) パーソナライゼーション (3) (3) ハレとケ (3) 健康 (3) テクノロジー (3) 身体性 (3) 外食産業 (3) ビジネスモデル (2) メタ認知 (2) 料亭 (2) 工夫 (2) (2) フレームワーク (2) 婚礼 (2) 誕生前夜 (2) 俯瞰 (2) 夏休み (2) 水資源 (2) 明治維新 (2) (2) 山林 (2) 料理本 (2) 笑い (2) 腸内細菌 (2) 映える (2) 科学 (2) 読書 (2) 共感 (2) 外食 (2) キュレーション (2) 人類学 (2) SKS (2) 創造性 (2) 料理人 (2) 飲食業界 (2) 思い出 (2) 接待 (2) AI (2) 芸術 (2) 茶の湯 (2) 伝え方 (2) 旅行 (2) 道具 (2) 生活 (2) 生活文化 (2) (2) 家庭料理 (2) 衣食住 (2) 生物 (2) 心理 (2) 才能 (2) 農業 (2) 身体知 (2) 伝承 (2) 言語化 (2) 合意形成 (2) 儀礼 (2) (2) ビジネススキル (2) ロングテールニーズ (2) 気候 (2) ガストロノミーツーリズム (2) 地域経済 (2) 食料流通 (2) 食材 (2) 流通 (2) 食品ロス (2) フードロス (2) 事業 (2) 習慣化 (2) 産業構造 (2) アイデンティティ (2) 文化伝承 (2) サスティナブル (2) 食料保存 (2) 社会変化 (2) 思考実験 (2) 五感 (2) SF (2) 報徳 (2) 地域 (2) ガラパゴス化 (2) 郷土 (2) 発想 (2) ビジョン (2) オフ会 (2) 産業 (2) 物価 (2) 常識 (2) 行動 (2) 電気 (2) 日本酒 (1) 補助金 (1) 食のタブー (1) 幸福感 (1) 江戸 (1) 哲学 (1) SDG's (1) SDGs (1) 弁当 (1) パラダイムシフト (1) 季節感 (1) 行事食 (1)
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

-今日のエッセイ-たろう
-, ,