今日のエッセイ-たろう

和紅茶の現在地ー日本の味覚と紅茶の行方。 2025年7月10日

最近紅茶を飲んでいて、ふと疑問に思ったことがある。なぜ、紅茶が世界中で好まれるようになったのか、だ。もちろん、答えの一つは近世ヨーロッパの帝国主義の影響だ。まず、ヨーロッパは伝統的に東方への憧れのようなものがあって、それを象徴する商品の一つとして茶が珍重された。喫茶文化を持つ人たちが世界中に植民地を広げ、生産地と大消費地を生み出していった。とまぁ、こんなところである。それはそうなんだけど、緑茶でもなければプーアル茶でもないし、烏龍茶でもないし、数多の茶の中でも紅茶ばかりが欧州で人気になっていったのだろう。

お茶の種類というのは、基本的にな発酵の度合いで決まる。完全に発酵させれば紅茶になるし、7割程度で止めれば烏龍茶になる。緑茶は発酵させずに仕上げたもの。発酵させることで、華やかな香りや甘みとコク、そしてほんのりとした酸味が加わるのだ。緑茶は旨味と渋みが特徴で、香りは薄くさっぱりした味わい。

文化的背景が流行を左右することがあるのは再現性のある事象。ポルトガル王室を経てイギリス王室へと伝わった喫茶文化は、高貴な飲み物として認知されたし、あこがれの対象となった。こうした心理的な動機も流行の理由の一つではある。それにしても、中国には不発酵茶も半発酵茶もあるわけだから、紅茶ではなくても同じ現象が起きるのじゃないかと思うのだ。だとするなら、やっぱり味わいに理由があるだろうし、その地域の食文化とも密接な関係を考えるのが良いと思う。

わかりやすくするために、日本とイギリスに対象を絞り込んで比較してみるか。まずは、香りだ。これはわかりやすい。和食と英食とでは、圧倒的に香りの「強さ」が違う。スパイスやハーブを使って、香りのアクセントの強さやその持続性などをコントロールする英食に対して、和食のそれは実に淡白だ。顔を近づけた時にふわりと香る程度の香り、口に含むと遠くの方からやってくる香りを探しに行く。それも、素材そのものが素から持っているから香りがそのまま残される。香りの加工に対する姿勢が対照的と言っても良いかもしれない。

ミルクや肉など、動物性食品が多かったからなのだろうか。野菜よりも香りが強いから、同等の強さを持った香りを組み合わせる傾向が強まったのかもしれない。というのは、憶測の域を出ないのだが。翻って和食は食材そのものの味を尊重しようとする姿勢は、グローバル視点で見れば過剰なほど。醤油ではなく塩を付けて食べたほうが素材の味がわかるというのは、その極端な例かもしれない。その上、水が豊富であることから淡い味付けの料理を常食するようになった。

そう考えると、茶という同じものでも加工の仕方はその地域ごとの特性に合わせて変化するのが自然だと言える。どんなに薬効があって体に良くても、どんなに文化的歴史的に意味のあるものでも、結局のところ美味しいと「感じる」ものでなければ流行しないのだ。

ここ20年ほどで、和紅茶というカテゴリが市場で確立した。元々国産の紅茶はもっと古い時代から存在はしている。明治時代初期、静岡県の丸子に住んでいた多田元吉という人が、中国やインドを視察して紅茶に適した品種「べにふうき」のタネを持ち帰ったり、イギリス式の紅茶製造機械を学んだりして国産紅茶を起こした。ただ、産業としては普及しなかったようだ。まぁ、明治時代の国産紅茶は構内流通のためというよりは、殖産興業の旗頭のもと輸出を目的としていたところもあったからではあるが。

近年になって、ジワジワとではあるが確実に和紅茶の市場が広がっているのは、多田元吉の時代に比べて日本人の食習慣が洋食化したことも影響しているかもしれない。欧米に比べれば随分と少ないけれど、肉の消費量はかなり増加した。ただ、一方で日本の洋食は欧米諸国の味付けとは全く違う。以前、アメリカ人の友人と食事をしたのだが、彼らにとっては薄味だというのだ。日本人にとってはご飯が進むくらいの濃い味と感じているのだが、濃さの基準が違うのだろう。そうなると、やはり現代日本の味覚に合わせた紅茶というものが、この先1世紀ほどの間に広がっていくことになるのかもしれない。

今日も読んでいただきありがとうございます。和紅茶って、製造加工の方向性がイギリス式なんだよね。紅茶の本家本元は中国で、日本からも近いし共有している文化も多いんだから、日本流の和紅茶の工夫のためにはもっと中国式の紅茶を研究するのも良いんじゃないかと思うんだ。今、どんどん暑くなってきている辛さ。安徽省、福建省、雲南省の紅茶は良いヒントになりそうな気がするよ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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