子どもの頃は「見る」ことや、「感じる」ことが好きだった。博物館や美術館に連れて行ってもらっても、ほとんど説明文は読まなかった。ただひたすらに、そこに飾られた絵や刀剣は眺めていた。掛け軸に書かれた文字なんて読めるわけもなく、意味もさっぱりだ。お城巡りは家族旅行の目的地みたいなものだったから、よく連れて行ってもらった。歴史なんて興味がなかったから、構造物としての建物を愛でていた。最初のうちは「かっこいいなぁ」「でっかいなぁ」などと思うだけだったが、やがて「へぇ〜、こんな作りになってるのか」なんてことまで考えるようになった。そして、いつしか「見えないものを見る」のが楽しくなっていった。
見えないものと言っても、オカルトではない。“かつてそこにあったはずのもの”を、思い描くようになったのだ。小学生の頃に訪れた安土城跡では、息を切らしながら山を最上部まで登った。一緒に登った父に「何を見ていんだ?」と尋ねられたぼくは、何もない空に視線をやったまま「天守閣」と答えた。そこに残された遺構は、わずかに基礎石だけだったのだけど、ぼくには見えていたんだ。基礎石の上にそびえ立つ見事な安土城が。
少年時代、他の男の子たちと同じようにプラモデルづくりにハマっていた時期がある。スポーツカー、戦車、それからガンダムなど、組み立てては色を塗って楽しんでいた。ときには、友達の模型作りに協力していた。電動で動く電車があり、それが走る線路と町並みを作り込むのだ。財力なんてまるでない小学生のことだから、いろんな建物を手作りでこしらえては絵の具や消しゴムのカスを使って装飾していたのだった。
そんなある日、祖母が買ってくれたのがお城のプラモデルだった。それまでに訪れたことのあるお城をプラモデルで再現してみる、というのは楽しい試みだった。プラモデルを組み立てながら、訪問時の記憶が蘇ってくる。「ここはこんな感じだったな」とか「この角度からの景色が良かったな」とか。プラモデルを作って眺めるだけで、記憶が動画の形で脳内に現れる。それは、写真よりもずっと鮮明な映像だった。
そのうち、まだ訪れたことのないお城のプラモデルを作るようになり、少しずつコレクションが増えていった。顔を近づけて下から覗き込んでみたり、マッチ棒で作った小さな枠から覗いてみたり、まるでぼく自身がそこに入り込んだような気分になれた。ミニチュアのお城は、バーチャルトリップを楽しむ材料になっていった。そうした中に、現存しない安土城があったのだ。
現地を訪れたぼくにとっては、それは見たことのある安土城が存在した場所。下から見上げるなんてことは、何度と無く経験したことだった。ぼくにとっては、無いはずのお城も「有る」なのだ。
現代はとても便利になった。一部の観光地では、スマホをかざせばそこに無いはずのものを見ることが出来る。林道にはどっしりとした城門が再現され、何の変哲もない田舎の商店街は街道の宿場町になる。空想なんてしなくても、見えないものが見えるのだ。だけど、どうもしっくりこない。ARで映し出された景色は、どうしても“本物じゃない”ってことを強調してしまうような気がするのだ。どんなに立派でも「ここにはもう存在していないんだよ」と言われている気持ちになる。
だけど、空想の中でぼくが見ていた安土城は、もっとリアルで迫力があった。
人間の知覚って、不思議なものだ。本気で想像したものは、半端な作り物よりもずっとリアルに感じられる。場合によっては、落語や能舞台のように語りだけで想像させる装置のほうが、景色に手触りを与えることも有るのだ。
だったら、この“想像力のリアル”を観光に活かしてみたらどうだろう。ぼくらの頭の中の風景こそが、最高の観光資源になるかもしれない。
現地に行く前に、VRで歴史を体験するのだ。例えば、お城や城下町のなかをバーチャル空間で歩き回ってみる。バーチャルならば視点を変えるなんて造作もない。実際にその時代のその場所にいるような体験をしてみる。そのあとに、何も無い現地へ行く。もうとっくに近代化してしまった商店街を歩く。そして、かつてそこにあったはずの景色を思い描くのだ。
きっと道幅はもっと狭かっただろうし、間口も狭い。風が吹けば、道端の土が舞って目を細めたかもしれない。そんなことを、スマホなんて使わずに脳内再生する。観光客の集団が、商店街の歩道でぼーっとしていたら不審がられるだろうか。だけど、そんなことはお構いなしだ。ぼくらは、ぼくらの感性だけで遠い昔を旅して楽しんでいるのだから。
今日も読んでいただきありがとうございます。無いものは無いんだ。だから、あるものを最大限に活かそうというのが、観光行政の基本。それはそれで良いんだけど、もう一歩進んで「無いものすらも有る」ことにしちゃうのも面白いんじゃないかな。それもテクノロジーを直接的に使うんじゃなくて、人間の脳の力を発揮するために使う。これは面白そうだ。そんな旅の形を提案してみるのも良いかもしれない。