今日のエッセイ-たろう

職能集団の「区別」が生み出す伝承と高度化。差別と自由を構造的に考えてみる。 2025年1月20日

歴史を勉強していると、職業的な血脈のようなものを感じることがある。武士の子どもは武士だし、僧侶の子どもは僧侶。農民も職人も、やっぱりその家の家業として継承されていく。歴史の中では当たり前といえる話。

これが身分社会の元になっていて、権力や財力の格差、それから差別的な意識となる。日本史でも西洋史でも中国史でも、インドも中東も、だいたい似たような構造になっている。

興味をもったのは、それが「差別」であるのか「区別」であるのか、だ。

平安時代を例にあげてみよう。貴族は基本的に文字の読み書きが出来たし、詩歌や音楽についても一定の知見を持っていた。で、これらの教養はどうやって継承されたかというと、環境だ。まだ、出版技術などが発達する前のことだから本はとても貴重で、印刷ではなく手書きで書き写したものだろう。まず第一に、それが身近にあるということが必要なのだ。図書館なんてものは無いから、基本的に自宅にあるかどうかがポイントになる。

さらに、それを読んだり学んでいる人が身近にいるというのも影響は大きそうだ。本があったとしても、それを読むためには読み方を知らなければならない。読んで理解するものだということを感覚的に知るというのも、身近に本を読む人がいたことが影響する。で、読み方を教えることができる人が近くにいるということでもある。

知見は、教えられて学んで得るということもあるけれど、近くで触れていることも影響しそうだと思うんだ。

親が料理人であれば、料理をしている姿を見ることもあるし、それについて話を聞くこともある。どういった視点で解釈しているか、どう向き合っているか。そういうのは、調理技術とは別の事柄で、それが伝承されるタイミングは技術指導のときだけではないのだろう。一度、料理人としての視点を獲得した状態であれば、別の職業についていても、日常の食事や食文化について比較的高い解像度で理解できるだろう。

おそらく、最初は知見や技術の伝承という意味で、家族内での共有が最も効率が良かったのだ。だから、家という単位であらゆる特殊技能や知見が継承されていった。時々、外部から修業に入ってくる人がいて、新たな職業的な家が生まれていく。そんなイメージ。ある意味で「知」の独占といえるかもしれない。

それぞれの時代で有利な知見というものがある。それが農耕に関するものだったり、土木だったり、戦いだったりする。時には、コミュニケーションや合意形成に関する知見だということもある。特殊スキルが家ごとに固定化した社会では、そのスキルが社会的に重視されてもてはやされるかどうかは運でしかない。

長い時間をかけて積み重なっていくと、過去の文脈の干渉を受けることで、格差のようなものが形成されていくのだろう。商売に貴賤なし。という言葉は、各時代のあちこちで言われているようだけれど、それは「現出している格差は偶然の産物」と言っているようにも聞こえてくる。

時代が下って、職業的分断や差別的なクラスターが開放される。日本史でいえば四民平等。これによって、徐々にではあるけれど職業選択の自由が現実のものになっていく。

ただ、これには落とし穴があったように思う。それは、差別にばかり注目したことである。差別は解消されるべきだというのは、個人的にも強く思うところだ。ただ、当時の環境を考えると、知見の継承という点では、なかなか簡単に事は運ばなかったのではないかと想像する。

現代では、公共教育や書籍やインターネットなど、知見を得られる環境が発達したから、比較的自由に職業を選択することができるようになった。特殊技能を持つ家系に生まれなくても、学びさえすればその仕事につくことができる。

とても良いことだと思う一方で、構造的にはリスクもあると思う。それぞれの社会において、職能の有利不利が偶発的に発生する、というのが真であるならば、就労者のボリュームが有利な職業に集中することになる。社会というのは常に変遷し続けるわけだし、将来がどうなるかもわからない。もし、現代において最も不利な職能が途絶えるか少数になったとして、その職能が有用な社会が訪れたとしたら、社会全体のリスクになりうるのではないか。

だからといって、どうすればいいかという知恵が有るわけではないのだけれど、可能性としては有りそうだと思う。

もうひとつの懸念。それは、身体知だ。たとえば、料理や農業。これらは、身体知を通じて学ぶ事柄が多い。もちろん、大学や調理師学校もあるし、実際の現場で働きながら学ぶことはできる。ただ、一方で身近に「いる」ということで得られる「感覚」は、なかなか得られないかもしれない。その状況で何を学ぶことができているのか、という定見もないし、実際に有用なのかどうかもよくわからない。

良し悪しを語るつもりはない。ただ、歴史上継続されてきた現象というのは、なにかしら利点があるのではないかと思うのだ。デメリットもあるがメリットも有る。職能の伝承は高度化をもたらしたが、一方で差別ロジックのきっかけにもなった。ならば、差別のロジックだけを部分的に解消させる方法と、特殊スキルを伝承し高度化させていく方法は、別の課題として分けて取り組むのが良い。ということになるのじゃないかと。

今日も読んでいただきありがとうございます。穢多って、江戸時代の差別対象になったって習ったよね。彼らは差別されたと聞いているけれど、革製品を作り出す職能集団でもあったんだって。明治になって差別からは開放されることになっていったわけだけど、その技術やシステムってどうなったんだろう。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

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