今日のエッセイ-たろう

蓋があったら開けたくなるじゃないか。ー料理に潜む小さなワクワクの話。 2025年7月24日

食器には蓋があるものと無いものがある。家庭の食卓ではあまり見かけないかもしれないけど、会席料理などでは蓋付きの食器も使われる。誰が発明したのか知らないけれど、「食器の蓋」って、実はすごい発明だったんじゃないかと思う。

汁椀や煮物椀には、蓋がついていることが多い。コースの序盤。スッと目の前に置かれたお椀を見れば、それが知るものらしいことはわかる。と同時に「どんな汁物だろう」と、ワクワクした気持ちがほんのりと湧き上がってくる。そっと手を伸ばして蓋を開ければ、視界に飛び込んでくる透き通った液体と、鮮やかな配色。そして、パッと立ち上る仄かな香り。それは、例えば木の芽の爽やかさをまとったハマグリのもつ磯の香りかもしれないし、ミョウガとキュウリがもつ独特の風味と鱧の香りかもしれない。

演劇や音楽を披露するステージで、薄い幕が閉じたまま音が流れ始めることがある。しばらくして、幕が落とされると同時にまばゆい光とともに一気に音楽が盛り上がっていく。フランス料理などで使われるのはクローシュという金属製の覆い。テーブルのそばまで運ばれてくると、ジャジャーンとばかりにお披露目される様子は、ステージでの演出と似ている。それに比べると、お椀にはそこまでの強力なパンチ力は無い。だけど、小さなドキドキと小さな驚きが部屋のアチコチで「私だけの開幕」が起こる。部屋を見渡せば、ポン、ポンと時間差で咲く小さな笑顔が楽しくもある。

もしかしたら、これが和食の特徴の一つかもしれない。一気呵成にわっと盛り上がるのもいいけれど、地味かもしれないけれど、ジワジワと染みる控えめな華やかさ。料理の彩りが淡かったり、香りがやさしかったりと、強烈なインパクトがないからこそ生まれた文化なのだろう。

そう言えば、煎茶が提供されるときにも蓋がある。抹茶には無いけれど、煎茶にはある。これも、もしかしたら「淡いもの」に対するケアといえるだろうか。

本来の蓋の役割は、食べ物の温かさや鮮度を守るため。なるべく作りたての状態を届けるための工夫である。それだけじゃなく、「ワクワク」や「香りの広がり」「驚き」まで加わったのは嬉しい誤算だ。

蕎麦屋へ行くと、温かい蕎麦に蓋が使われているシーンに出会うことは少ない。江戸の屋台蕎麦にルーツがあるからだろうか、それとも少しでも早くたべたいからだろうか。もしかしたら、店中に蕎麦とそばつゆの香りが充満しているから、蓋をしてもワクワク効果は薄いというのもあるかもしれない。そんな中でも例外的に蓋が使われるのが「花巻そば」。つゆの表面が真っ黒になるほど海苔を散りばめられていて、海苔のいい香りが鼻をくすぐる。これまた見た目のインパクトとともに、香りを活かす工夫。

同じ蕎麦やで蓋が載っているのは、天ぷら丼。中には天ぷらが蓋からはみ出ている場合もある。しっかり蓋が閉じられたものに比べれば、保温効果も低いし、香りもこぼれ出ている。何が入っているかと想像するまでもなく、海老の尻尾がこちらを見つめている。「ほら、ぼくはここにいるよ」とアピールしているかのようだ。それでもやっぱり、蓋はあったほうが嬉しい。わかっちゃいるけど、あんまりよく見えない。このくらいのチラリズムが、品の良いお椀と違った愛嬌のあるデザインなのだ。

湯気で曇ったガラス食器。匙で掘り返してみないことには具材がわからない茶碗蒸し。料理のすべてを詳らかにしないネーミング。よく考えてみると、食事をエンターテイメントとして楽しむための仕掛けは、あちこちにある。会席料理などでは、本来お客様に献立表を見せることがない。これも、ワクワクの演出効果を担っている。旅館で献立表を置いておくのは大量の旅行客に対応するための苦肉の策だが、難しい漢字で書かれた料理名は、もしかしたら料理人の小さな抵抗かもしれない。

今日も読んでいただきありがとうございます。料理のエンターテイメントというと、コンペティションだったりジャグリングのような派手な演出、驚くような盛り付けが注目を集める。それはそれで面白いんだけど、あちこちに埋め込まれたちっちゃな仕掛けを楽しむのも面白いよね。たかが蓋。なれど、あなどれぬ蓋。である。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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