今日のエッセイ-たろう

食料供給システムの多様性。 2024年1月20日

昨日からの続きです。もし電気が止まったら、冷蔵庫どころかエコ・ネットワークも機能不全になる。というくらいに、電気や冷却技術に依存してしまっていないか。という問いから妄想を繰り広げています。

食料供給の現場が近くにあるということは、危機に対応してくる方法の一つかもしれない。むろん、それだけに頼るのではない。コールドチェーンによる食料インフラ。特産品の輸出入。冷凍や特殊冷蔵を利用した長期保存。これらを利用しながら、同時に近くに生産地があって供給が継続していること。そんな感じの社会構造が大切なんだろうなとは思う。

生産地と人口の規模感はどのくらいがいいのだろう。日本全体をひとつの単位としてみなすには広すぎる気がする。いざというときに、食料供給がかなわないから。停電した。食料がない。みんなで力を合わせてなんとかしよう。となった時には、ある程度顔が見える距離感が良さそう。みんなの労働でカバーできる距離に生産地があって、みんなの力でカバーできるくらいの人口。

ううむ。どうなのだろうな。あまり小さな単位でも効率が悪いし。もしかしたら、江戸時代の藩くらいの規模感が良いのかもしれないな。という気がしてきた。とりあえず何も根拠はない。

食料の長期保存という意味では、乾燥、塩蔵、発酵などが伝統的。平安時代の貴族の食事にもよく登場している。遠くのものを手に入れようとするとそういうことになるのだろう。もちろん、周辺の農地で採れた野菜や魚なども食べただろうけれどね。

輸送システムが整備され始めたことで、食品が潤沢になってくる。北前船、菱垣廻船、樽廻船。室町時代から江戸時代にかけてのことだ。とはいっても、生鮮食品は地元のもの。江戸の人たちが食べることが出来た鮮魚は川魚と江戸湾で採れたもの。

歴史を見ると、やはり食料の保存というのも大切なのだと思わされる。一度飢饉がおこれば、備蓄米が少ない土地は大変な被害が発生している。現代ならば、米や麦などの穀物だけでなくレトルトや冷凍食品。これらが、家庭や流通網に大量にストックされている。ということは、インスタントラーメンやレトルトカレーは、実は食料インフラの一部なのか。

本来ならば生鮮食品であり、長期保存などは難しいはずのもの。生産地の近くでなければ食べることが出来なかったもの。それらを長期保存出来るようになり、輸送可能にしたのが冷却技術だ。それがこれほどにエコシステムを巨大化させているのだとしたら、ぼくらは生鮮食品が好きなのだろう。漬物や乾物になった野菜よりも、生の野菜が欲しい。鰹節やシーチキンや鯵の干物よりも、新鮮な魚が欲しい。そういう欲求があるのだろうか。

行かなくても美味しいものが食べられる。なんとも便利な世の中だ。好きなときに送ってもらえる。しかも、入手してから数日間は保存しておくことが出来るので、自分の好きなタイミングで食べられる。

わざわざ行かなくちゃいけないのなら、我慢するか、それとも大量の人口の移動を可能にするか。むむむ。

もし、電気の供給がなくてもずっと機能し続ける冷凍庫があったら、便利なだけじゃなくて安心でもあるな。そういえば、超小型原子力電池なるものが少し前にニュースになっていた。1円玉よりも小さいその電池は、100マイクロワットの電気を50年間供給し続けるとか。社会実装されたら、けっこう大きなインパクトがあるかもしれない。

もちろん、ひとつの技術に全てをベットするのじゃなくて、使い所を見極めなくちゃいけないのだろうけど。コンセントに繋いで使うという家電の概念が、一部変わっていくかもしれないとは感じるな。

今日も読んでくれてありがとうございます。投げっぱなしで何の結論もないんだけどね。一点に集中的に依存しているのは危ないよなあって思ったんだ。しかも、世界中のすべてがそれに傾斜しているってさ。食文化だったら、地域ごとに依存する対象が違っていたんだけど、それも近年になって均一化しちゃっているし。どうするのが良いのだろうなぁ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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