今年は、掛川市と旧大東町、旧大須賀町が合併して20年の節目。いわゆる「平成の大合併」っていうやつの流れで、全国的にあっちこっちで市町村がくっついたときのことだ。相変わらず、お互いの地域を旧地名で呼ぶのは仕方がないのだろう。旧大須賀の人たちが旧掛川へ出かけるときは「掛川へ行く」と表現するし、ぼくらも旧大東地区のことは大東と呼ぶ。少し前までは、もうそろそろ「掛川市民」というアイデンティティで統一されても良いのかなと思っていた。けれども、今は少し違う。
市町村合併の主な理由は財政問題だった。人口減少に伴って、公共サービスの維持が難しくなった。そこで、近隣市町村でサービスを共有することでコスト削減を行うのだ。どんなに小規模でも必ず発生するコストがあって、人口規模が拡大していくに従ってコストの伸びは緩やかになっていく。そして、多くの市町は効率化をして財政の立て直しを実現した。
効率化と引き換えに失ったのは地域性だと思っている。企業の合併とは違って、市町の場合には物理的な面積が広がることになる。ついうっかり見落としてしまいがちだけれど、物理的な距離って思ったより大事。シンプルに近所の人が親近感を覚えるし、遠くなればなるほど他人事に感じられるものだ。
家族の中では夫であり父である。会社の中では経営者。掛川人であり静岡人であり日本人。ポッドキャスターというのもそうだし、料理人でもある。どれもこれも、自分を作る“パーツ”みたいなもので、それが重なって「自分」という感覚が出来てくるのだと思う。組み合わせがアイデンティティの源なのだろうな。これって、どこかで民族意識とも繋がっているのかな。
社会人という言葉は、一般的に大人の類義語のように扱われているけれど、「社会の構成員としての個人」というのが元々の意味だったはず。世間の仕組みや様々な人との繋がりの中にいるのが社会人だし、それらとの関係性を一切廃したのが自由人たる個人。
つまり、様々な帰属集団の中での振る舞いが折り重なることで、社会人としてのアイデンティティを構成しているのだ。そして、重なりが個々に異なるからこそのアイデンティティなのではないかと思う。そうだとするならば、最小集団である家族の次に来る中間サイズの帰属集団が10万人というのは大きすぎるのかもしれない。数字も大きいし、物理的にも遠くて文化も違う。雑に言えば、ちょっと飛び過ぎなのだ。物理的にも文化的にもね。
地縁というのは、何も地域の活動に参加して積極的にコミュニケーションを取ることだけを指すわけじゃないと思う。それも大切なんだけど、同じ環境にいると言うだけで成立する共感があれば、それだけでも地縁と呼んでいいと思う。「風が強いから潮風のせいで、洗濯物が外に干せない」という海沿いの人たちの共通意識だろうし、線路沿いの人なら「窓を開けたまま寝ると早朝の貨物列車の音に起こされる」なんてことも共感するところかもしれない。
良いことも悪いことも、共体験が地縁を紡ぐことがある。公共的なサービスを考えたり提供したりする人が、体験を共有していることは心強いし親近感も湧く。心理的な距離の近さは、助けたいという気持ちを持ちやすいものだ。それから、体験を共有していると理解が早いから対策までのタイムスパンが短くて済むというのもある。
こういう、地元感覚が薄れていったのも大合併による副作用なのだろうな。支所に勤務する人は、数年で入れ替わってしまう場合が多く、やっと相互理解が深まった頃には移動してしまったなんて話をよく聞くのだ。
効率化はとても大切、だけど地域性も大切。これらを両立させるにはどうしたら良いのだろう。いや、今の状態がバランスが良いのだろうか。それとも、市町村分割したほうが良いのだろうか。少しだけ視点を変えて考えてみたら、モヤモヤした気持ちになっているのだけれど、たぶんそう簡単に答えが出るわけでもなく、当分の間このモヤモヤを心の何処かに置きっぱなしにしておくことになるのだろう。
今日も読んでいただきありがとうございます。言語化、特に文章にするのがとても難しかった。これ、伝わるかなぁ。うまくいえないけど、色んな地域で噴出している課題の根っこには、拡大しすぎたアイデンティティ構造みたいなものがあるんじゃないかと思うんだよね。