食文化の地球儀 2022年6月24日

日本全国津々浦々。というか世界中で、その土地ならではの食習慣があるよね。きっとある。ファストフードの代表格であるハンバーガーだって、もとを正せば地域食。にぎり寿司だって地域食。国単位、県単位、地域ごと、切り取り方は色々あるけれど全部地域食だ。

なんでまた、こんなにもいろんな食文化が誕生したのだろうか。もちろん、ある程度の回答は出来るだろう。発祥の歴史を紐解けば、大抵のことは気候や土地の環境が影響している。なんだけど、それだけじゃない要因がたくさんあるんだよね。宗教も食生活に大きな影響を与えた要因のひとつ。

神様がこれは食べちゃダメって言ったから食べられないってことになっているものはたくさんあるんだもの

そういう制約は肉類が多い印象なんだけど、実際のところどうなんだろうか。宗教のことは表面をさらったくらいなのでよくわからない。

キリスト教はあんまり食事制限がない感じがするよね。定期的な断食があるくらい。食材制限はなさそう。

イスラム教ははっきりしている。豚肉と酒類が一切ダメ。以前、ムスリム(イスラム教徒のことね)の方に聞いてみたのだ。豚肉ってどんな感覚なのかってね。とても不浄なものなんだって。日本人にわかりやすく言うと、ゴキブリをまな板の上に乗せて調理している感覚に近いんだとか。そりゃ嫌だな。というか、豚肉に対してそんなイメージを持っているのが興味深い。

こうして書いてみると、ムスリム対応の食事はとても面倒なように感じてしまうかもしれない。けれども、おそらく日本人にとって最も身近な宗教である仏教はもっとめんどくさい。なにしろ、完全なベジタリアンなのだ。肉食禁止どころか、魚もダメ。植物以外は口にできないことになっている。

日本の仏教での戒律は、菩薩戒といって比較的緩やかなもののはず。なのだけれど、不殺生戒というのがあるから、動物の命を奪ってはいけないのだ。最も食材制限の厳しい宗教かもしれない。

宗教以外にも食生活に影響を与えるものがある。交易もそのひとつ。遠くのものであっても運ぶことが出来るというのは、中世以降にじわじわと広まっていったスタイル。それには、当然だけれど運搬技術の進歩が必須だし、経済社会が成立していることも大切だ。社会システムとともに、食生活は様々に入り乱れていった。

仮に、1000年間だけの撹乱が起きたとしてみる。実際そんなものだろう。本来なかった植物が別の地域で育てられるようになったり、定期的に運ばれてくるようになったりして、新しい食文化がその地に定着するのにどのくらいの時間がかかったのだろう。ひとつずつ見てみると、定着までに要する時間はマチマチだ。ここが面白んだよね。気候だとか、考え方だとか、元々持っていた食材と似ていたかとか、インフルエンサーがいたとか、ブームだとか、政治だとか。とにかく、変数が多すぎるんだよ。数式で予測するなんてことはしないだろうけれど、やったとしてもカオスに近い印象だ。

なんとなく、地域ごとに食生活の違いがあることは知っているし、なんとなく当たり前だと思っている。でもさ、よくよく考えるとなんだか不思議な現象に思えてこないかな。ぼくだけか。これだけ食べていれば完璧。そういう食品が未来に登場したとしても、世界中の人類の食事が統一されることなんかあるのかな。ちょっとぼくには信じがたい現象だけどね。もしかしたら、数百年の未来では当たり前になっている可能性だってなくはない。

地球を食文化という目線で眺めてみる。ちょっと想像してみて。無限のような食文化を、色んな色の丸で示して色をつけていく。食材とか料理のバリエーションごとに色を変えてね。色数はとんでもなく多くなりそうだね。それを地球儀の上に貼り付けてみる。とてもつもなくカラフルな地球儀が出来る気がするんだ。そして、今度は時間軸を遡ったり未来に進めてみたりする。すると、食文化というのがドロドロとした液体のようにうごめいて見えるんじゃないかな。

そんなシミュレーション作れるのかな。というか、作れたとしても作ろうとする人は登場しないか。

今日も読んでくれてありがとうございます。ちょっと見てみたいよなあ。全部をまぜこぜにしたら大変だけど、ジャガイモの拡散とか、ビールの変遷とか、地球上に表示したら直感的に動きが見えておもしろそうじゃない。なんの役に立つのか知らんけどね。ただ面白そうなだけ。

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