今日のエッセイ-たろう

「行為を受け取る」ということ。 2024年9月7日

なんだかとっても不思議だな、と思うのよ。歴史でも、普段の生活でもそうなんだけど、実際の成果とか思想よりも、行為そのものに注目するクセがあるんじゃないかと。

これは、一文にまとめるのは難しそうだな。

例えば、熱意を込めて何かを伝えようとするでしょう。恋愛でもなんでも良いんだけどさ。で、一生懸命になるあまり、長めのメッセージを毎日毎日送り続けるとするじゃない。そうすると、もうメッセージの内容なんてどうでもよくて、「毎日長文が届く」という事実だけが相手に伝わると思うんだ。中身は忘れちゃうかもしれない。

例えば、同じ映画とか出来事とかを共有している人と感想を言い合ったとしてさ。え?そこ見てたんだってびっくりすること無い?視点が違うというか。それはとてもおもしろくて、楽しい会話になるんだけど、何を受け取ったかと言えば「私と違う視点である」ということなんじゃないかな。内容の面白さよりも、視点の面白さ、フィルターを楽しんでいるような感覚がある。

明治の乳業勃興に貢献した由利公正とか、新原敏三。男爵いもで有名な川田龍吉、根室県令の湯地定基。焦点を日本の明治時代に絞って見ても、何を為したかと同時に「どんな行動をしたか」が、彼らに対するイメージを作っているんじゃないかと思うんだ。

何も知らなければ、「男爵芋って川田男爵が由来なんだって」で話は終わりかもしれない。だけど、一度ストーリーを知ってしまうと、川田龍吉がどんな行動をしたのかが気になってくる。たべものラジオのリスナーだったら、川田龍吉といえば「男爵芋」ではなく「ジェニーの手紙を大切にしていた人」というイメージの人もいるかも知れない。

情報を受け取る人。という表現はちょっと無機質な感じがしてしまうけれど。受け手というのは、どうやらそういった行為からもイメージやメッセージを受け取るものなのかもしれない。

ぼくは、芸術鑑賞に関しては素人なのだけど、なにかこう、作品そのもの以外のメッセージみたいなものが大切なんじゃないかと思ってはいるのね。いや、合っているかどうかは知らないよ。ただ、伊藤若冲っていう絵師が鶏の絵ばっかり描いているんだけど、彼の鶏を見つめる視点というのが興味深いと思うんだ。色彩よりも、そっちのほうが気になる。マルセル・デュシャンの「泉」なんかはわかりやすく、視点の提示なのかな。

ポピュラー音楽でもロックでも、やっぱり同じだと思うんだ。どんな楽曲を音として完成させたか、も大切なんだけど。どんな意図を持ってその演奏を選んだのか、どんな意図をもってその言葉を選んだのか、という辺りが面白さを加速させるような気もする。

こんな事を考えながら鑑賞してたら、はっきりいって疲れちゃうだろうね。めんどくさいことを考えないで、素直に感じれば良いんだよ。という人がいるけれど、ぼくはどちらかというとこのタイプ。五感で感じることの方がとても大切だと思う。旨いものは旨い!で良いんだと思う。

評論とか批評っていうのが、その先にある「読み取り」の世界かな。誰かの批評を見聞きして楽しむのもよし、自分で気がついてワクワクするのもよしっていう感じ。「これって、もしかしてこんなメッセージが含まれているんじゃないの?」ってことに気がついたら、それだけで楽しいんだもの。作者がそんな思いを込めていなくても、鑑賞者が感じたらそれで良いだろうしね。

たべものラジオって、一般的な歴史と違って、ちょっと変わった視点で批評しているようなもんだろうね。それも、「たべものラジオによると」という他人の視点での読み解き。

今日も読んでいただきありがとうございます。「行為を受け取る」って、色々考えようとすると面倒な気もするんだけど、日常生活では当たり前にやっているんじゃないかな。何を対象としているかの違いだけ。で、結構大切なことなんじゃないかとも思っている。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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