今日のエッセイ-たろう

代替肉は「新ジャンルの加工食品」として見る。 2023年2月13日

料理は修行なんかしなくても、おいしく作ることが出来るのならそれでいい。それだけで、一流の料理人である。というと、とても極端な話に聞こえるのだけれど、真実だと思うんだ。

ただ、修行したほうが、言い換えるとちゃんと学んだほうがおいしく作れるようになる。その事実の前にひれ伏すより仕方がないのだ。その差は圧倒的。勉強をしなくても賢い人はいる。賢いのに勉強しなかった人と、地道に勉強し続けた凡人では、後者のほうが賢くなることのほうが多い。本を読んだり、実験したりする人が伸びていくというのは、学問でも料理でも同じなのだろうと思う。

全ての料理を研究して実践して、学び続けることも、とても大切だけれど、実は無理がある。無理があるというのは、人間に与えられた時間と能力が有限だからだ。どんなに頑張ったところで、既存のレシピを全て再現するだけでも人生が終わってしまうだろう。それほどに現代の料理のバリエーションは豊かなのだ。

既存のレシピだけじゃなく、料理のすべての工程を自分で作るのか、という課題もある。時々、自家製豆腐を売りにしているお店があるのだけれど、必ずしもそれが市販のものよりも上回っているかというと、実はそうでもない。豆腐一筋で、豆腐のことばっかり考えていて、大豆や水や凝固剤についても研究を重ねていて、技術も常に改善し続けているという豆腐屋さん。基本的に、専門職よりも上手に豆腐を作ることが出来るなんて言う料理人は少ない。まぁ当たり前の話だ。

例外を言えば、豆腐屋さんには出来ないことをやるときくらいかな。商業ベースで、どうやっても採算が合わないような原料を使うとか。その時は自分で作るしか無いんだけどね。基本的には、プロにおまかせした方が良い。料理人は目利きを鍛えるのだ。

豆腐だけじゃなく、バターもかまぼこもはんぺんも、プロにおまかせしたほうが良いということが多いだろう。こうした加工食材は、数え切れないほどあるのだ。

昨今の食品業界は、何かと賑やかだ。かつては見られなかった新しい食品が次々と生み出されている。代替肉の分野は、世界中で注目されている。大豆ミート、培養肉、発酵肉。それから、海藻由来だったり、フルーツ由来だったりとバリエーションは増え続けている。

こうした代替肉を、どのように解釈するか。それが、これからの向き合い方になるのではないだろうか。確かに現時点では「肉の代用品」として世の中に登場している。しかし、これらの食材が未来永劫「肉の代用品」として扱われ続ける保証などどこにもない。現に、豆腐という存在が数百年前の代替肉だったことを知らない人も多い。食品業界の人であっても、「昔から代替肉というものはあった」というと「ああ、がんもどきですよね」という答えが圧倒的に多い。豆腐そのものが代替肉。この事実は、長い年月の間に忘れ去られているのだ。

つまり、現在次々に生み出されている「代替肉」は「代替肉ではなくなる」日が来るかもしれない。と思っている。むしろ、そこには料理人の知見が役に立つのだと思うんだ。

代替肉を肉だと思い込んで調理をする。それは、肉料理に用いられる調理技法に制限されることになる。自然な発想ではあるのかもしれないけれど、先入観のせいで知らず知らずのうちに制限がかかっている。そうではなくて、「新しい加工食品」だと認識しても良いはずだ。純粋な気持ちで、素直に「肉でも他の何者でもない食材」として向き合う。その味を、どのように活かせばよいかを考える。それが料理人の姿勢だろう。

豆腐料理の原初は、やはり代替肉として進化してきた。田楽などは、雉などの野鳥の焼き鳥である。鶏肉に串を刺して焼いたものに味噌を塗って食べる。その肉が豆腐に置き換わったものだろうと言われている。ところが、いつのまにか「冷奴」という謎の料理が登場した。よくよく考えてみてほしい。肉を生のママ、醤油をかけてネギと生姜で食べることがあるだろうか。無くはないだろうけれど、ほとんど肉を食べていなかった時代に、しかも冷蔵技術もなかった時代に、生肉を食べるとは考えにくい。なにしろ、江戸時代中期以降は、歴史上最も菜食主義の食文化が日本中に広がっていた時代なのだ。

上記の話は、室町時代から江戸時代へと移り変わり、数百年の月日がながれることで、過去の文脈を打ち破る食べ方が登場した。ということだろうと思う。この事例を見て、同じだけの時間をかけるのか、それとも、自らの認知力でバイアスを打ち破っていくのか。そういうことを求められているのだと思う。

昨年の「SKS Japan 2022」では、ジャックフルーツを使った代替肉を試食させてもらった。試食ブースには同商品を提供する「Sustinable Food Asia」の代表海野氏がいて、少しばかり話をさせてもらった。個人的にはそれまでに体験した大豆ミートに比べると、より肉に近いという印象だった。肉として調理するのであれば、日本流の唐揚げやそこから発展する料理などが合いそうだと感じた。ということを伝えたのだが、同時に肉としてだけ考えるのはもったいないとも言った。

今のところ、代替肉の味の評価基準は「本物の肉に近いか」である。果たして、それだけが価値だろうか。フルーツミートにしか出せない味、肉ではない別の食品としての道は無いだろうか。個人的には、あると直感した。食べてみて、そう思った。肉には出来ないことを片っ端から試したら良い。サラダに混ぜたらおいしいかもしれないし、ガンモドキのように混ぜることも出来るし、コメや麦と一緒に茹でたらどうなるんだろうとも思う。もしかしたら、スウィーツになるかもしれないし、ヌードルになる可能性もあるかもしれない。

書きながら思いつくことはこんな程度のことだけれど、四六時中考えていたらなにか他のものにヒントを得て新しい道が開けるかもしれない。

今日も読んでくれてありがとうございます。1足す2は3。これを直感的に答えているけれど、果たしてそれは本当に「わかって」いるのだろうか。ただ、知っているだけじゃないだろうかと思うんだよね。知っているつもりになっている。水が入った瓶が1本あります。そこへ、水が入った瓶を2本もってきました。さて、ぼくは何本の水の瓶を持って帰ったと思いますか?答えは1本かもしれないよ。まとめちゃったかもしれない。「わかったつもり」ってそういうこと。なんだよね。そして、普通にしていると気が付かないバイアスを外すためにも、事例の宝庫である歴史を学ぶことには価値があるのだと思うんだ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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