広告とお茶。 2024年6月27日

たべものラジオのミルクシリーズの中で、ミルクのマーケティングの話が登場した。飲料としてのミルクが大きな盛り上がりを見せたのは、それまでの長い歴史の中で紡がれた憧れのような動機があったとはいえ、背中を押したのは大々的な広告戦略だった。そして、戦後のアメリカでミルクの消費量が低下して、業界はやはり大々的な広告戦略を打ち出して巻き返しを図ったのだ。とても興味深い。

世界中のどこを見渡しても、広告は大きな力を持っている。福沢諭吉の肉食之説も宣伝だし、寛政4年の白牛酪考もそうだ。一度火がついてしまえば、噂が噂を呼んで、拡大していったこともある。夏には人気がなかったはずのうなぎは、平賀源内のコピーライトのせいで食文化になってしまった。みんなが夏にうなぎを食べるようになったものだから、養鰻業者は土用の丑の日に合わせてうなぎを養殖するようになってしまった。広告の威力というのは凄まじい。

戦後のアメリカでは、炭酸飲料が大きく需要を伸ばしたことでミルクの消費量が下がっていった。もしかしたら、適正値がに戻っただけなのかもしれない。とは思うのだけれど、一度拡大した需要に合わせた仕組みが整っているから、そう簡単には縮小ができない。縮小するということは、誰かがその仕事を継続できなくなるということだ。すでにある設備が無駄になるし、たたむのもお金がかかる。リスキリングすればいいっていうだけじゃすまないのが、事業者の大変なところだろう。

清涼飲料が増加してからというもの、日本の茶業界は苦しい状況が続いている。一部の茶商や飲料メーカーは潤っているし、お茶はドル箱だと言う人もいる。だけど、多くの人は苦しい。気がつけば、このままいくとあと四半世紀後には茶農家が全滅しちゃうかも、というところまで来ている。もう、縮小では済まされないのだ。

コンビニのペットボトル入り飲料コーナーを見ると、一番広い面積を締めているのは茶である。緑茶以外もかなり多いが、それでもやはり最大面積を誇るのは緑茶だ。つまり最も売れている。にも関わらず、茶農家は苦しいのはどういうことか。

原因はまさにペットボトル入り緑茶なのだ。清涼飲料の需要が増えて、急須で入れて飲むお茶が減少。これによって、ペットボトル入り飲料コーナーで戦わなければいけなくなった。主戦場とは言えないかもしれないが、かなり大きなウェイトを占めているという。ライバルはスポーツドリンクや清涼飲料。となると、それらのライバルに合わせた価格帯にせざるを得ない。そうなると、飲料メーカーは比較低価格の茶葉を入手しなければならないし、その上流にある仕上茶を作る茶工場、荒茶を作る茶工場、茶農家の売上は小さくなる。単価が安くなるのだ。単価が安くなると、生活が苦しくなるだけじゃない。茶畑に対する投資が難しくなるのだ。

原材料の生産に投資ができない。つまりリスクが採れない。だから、なるべく冷害に強くて、たくさん収穫できて、それなりに美味しいけど特徴のない茶葉が優先されることになる。均一化していった結果、独自のブランディングが出来なくなり、つまらなくなった消費者はさらに離れていってしまう。で、このタイミングで担い手の高齢化。儲からないのだから、世代交代のタイミングでやめてしまう。というか、もう数十年前から茶農家にならないと決めて都会で働き出した人たちが大量に発生したのは近所でも見られることだ。

これは、広告でどうにかなるのだろうか。構造的な問題のようにも見える。ただ、急須で飲むお茶を楽しむ消費者が増えれば、構造変化の兆しは見えそうだとも思える。面白いことに、茶業界はペットボトルよりも急須で使う茶葉の方が儲かるし、消費者は茶葉のほうが美味しく安くお茶を飲める。どっちも得なのに、どういうわけかペットボトル入りのほうが売れている。

面倒くさいというのはもちろんある。ぼくやその友達は、一人暮らしの東京生活でも当たり前のように急須でお茶を入れて飲んでいたのだけれど、きっと少数派だ。ほとんどの人は面倒くさい。それもそうだけれど、広告も大きいような気がする。だいたい、テレビで見るお茶の宣伝はペットボトルじゃないか。アメリカの「got milk?」に負けないほどの宣伝合戦。

今すぐには儲からないかもしれないけれど、もしお茶の宣伝をペットボトルだけじゃなくてリーフにも軸足を置いたらどうなるのだろう。もしかしたら、数年後に産業構造が良くなったりしないかしら。

今日も読んでいただきありがとうございます。いろいろと茶業界の人とは付き合いがあって、あんまり言いづらい所も多いんだけれどね。個別の話じゃなくて、業界全体を見ると自分で自分の首を締めているようにも見えるわけ。外野だから言えることなんだろうけど、なんとかならないもんかなぁ。

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