今日のエッセイ-たろう

栄養学は、いつから道徳になったのか。 —食のブームから見る世界観

YouTubeで興味深い話を聞いた。
「アメリカ人って、理想の生き方が神様の世界があって、それに合わせようとしている気がする。そのとおりには出来ないかもしれないけど、それをお手本にしている感じ。日本の場合は、周りの人との関係をすごく大事にする。みんなで理想の生き方を持ち寄って、それに合わせているイメージがある。」
正確な表現は忘れてしまったけど、だいたいこんな内容だったと思う。日本に住んでいるアメリカ人のコメントだ。

世界をどういうものだと捉えるか

世界、世の中をどういうものだと思っているか。つまり世界観は、ある程度地域や文化圏ごとに特徴があると思う。もちろん、いろんな考え方の人がいるから一括りには出来ないけど、ざっくりとした傾向はあるのではないだろうか。専門家ではないので私見でしかないけれど、「考え方の違いを理解する補助線」としてぼくなりに整理してみようと思う。

絶対原理型

まずは、絶対的な原理原則があると考えるタイプ。ぼくらが生きる環境がどうであれ、必ず変わらない理想があるという考え方。場合によっては、それが真理であると言い切っていることもある。

哲学者カントの定言命法だったっけ?「嘘をついてはいけない」というのは、普遍的な命令であっていかなる状況においても変化しない、みたいなことを言っている。友達が殺人者から追いかけられていて自分のうちに隠れた。そこへ殺人者がやってきて、友達が自分の家に隠れていないかと聞いたとする。さぁどうする?この場合でも嘘をついてはならないとカントは言ったそうだ。
現実感覚に照らし合わせると、ちょっとヤバい人に聞こえるかもしれない。だけど、これは思考実験の話。普遍的な原理とは何かを考えるためのサンプルだと考えたほうが良いだろう。

これは極端な例えだけど、人権思想のほうがわかりやすいかもしれない。慣習やその場の空気がどうであれ、人権は絶対に守られるべき、というのは普遍的人権の考え方だ。その場の雰囲気で多数派に流されそうなときでも、少数派を守る力となるのはメリットだろう。一方で、「これぞ正義」としてしまうと、カントの例えのように融通がきかなくなる。絶対的正義を定めた瞬間、それ以外が間違いであるということになる。これは、現実の複雑さを切り捨てることになるという弱点にもなりうる。

関係調整型

その時々に応じて、みんなが関係性を調整するタイプ。関係というのは相対的なものだから、いつでも変化する。例えば、友人と二人でいる時と、もう一人増えた時では振る舞いが変わるようなことだ。「変化する関係性のなかで、どんなコミュニケーションが心地よいのか」をお互いに調整し続けるのだ。同じ友人と一緒にいるとしてもシチュエーションによって関係性は調整される。日本人にはとても馴染み深くて、ほとんど無意識でやっている。いわゆる「空気を読む」ということだ。

ぼくから見れば、茶の湯は関係調整の塊に見える。季節、時間帯、天候、花、主人と客の関係性、前回との繋がり、客の体調や会うまでの状況、茶の状態など、あらゆるモノゴトとの関係性を読む。それらが全て集約された茶室は、全ての関係性を調整してふさわしい場として整えられるのだ。

関係調整型は、複雑な現実を受け取ることに向いている。食事を通じて世界とつながるという思想は、現代的に言えばガストロノミーだが、こうした世界を複雑なまま捉える考え方そのものである。大きな視点で物事を考えたり、人間関係ならば合意形成さえ出来れば強固な社会を生み出すだろう。
一方で、関係が重なりすぎると個人が埋没する。場の空気や家、集団、序列、伝統などの関係が強くなりすぎると個人の考えが消えてしまうのだ。皆のためとか、昔からそうだからという言葉に決着してしまい、結果として変革には少々エネルギーが必要な気がする。

茶の湯は、関係性の中から理想を見出す行為だけど、社会では最低限のラインを保つ機能のほうが表面化するような気がしている。

アメリカ社会の変化

今回の話は、「ざっくり言えば、こういう傾向あるよね」くらいの感覚でしかない。だから、例外はいくらでもある。ただ、社会を理解する「補助線」くらいにはなると思っている。

一旦、「アメリカ社会は絶対原理型だ」と仮定する。もちろん、実際はもっとずっと複雑なのだが、「あえて単純化して考えてみると、どんなストーリーが見えてくるだろうか」という姿勢で思考を深めてみる。

例えばこんな感じだ。
多くのアメリカ人は教会を通じてキリスト教の神を信仰してきた。その中で、神や教会の示す「理想的な生き方」を確認してきた。というわけだ。

もし、このフォーマットが崩れるとどうなるだろうか。

近年になってアメリカの信仰心に変化が起きているらしい。いや、全体的に宗教への信仰が消えたわけではないのだが、教会に行く人がかなり減ったのだ。Gallupの調査でも、教会などへの所属率が過去に比べて大きく低下していることが示されている。
紙幣に「In God We Trust」と刻まれているこの国の歴史を考えると、現代のアメリカ社会は宗教との距離感がずいぶん遠くなったと言える。これまで、教会は「価値観の共有システム」として機能してきた側面があり、絶対原理型の中心を担ってきたのだ。
つまり、絶対原理型というフォーマットであるのに、中心となる原理が弱まっているということになる。興味深いのは、中心原理が弱まっても絶対原理型というフォーマットはそのまま機能しているところだ。これまで宗教が担ってきた中心原理を、自らの手で掴み取っていかなければならない状況になったのだ。

世界観や価値観を自らの力で再構成するのは大変な作業だ。多くの経験と勉強が必要になるだろう。それが出来る人ばかりではない。となると、より短絡的で、より刺激的で、より単純な原理に引寄せられやすくなるのも自然の流れだろう。

強いメッセージ

社会には多くのメッセージが溢れている。格言もあれば政治家の発言やインフルエンサーの話にも触れることがあるだろう。しかし、もっとも多く触れる強いメッセージは広告なのではないだろうか。テレビやラジオ、YouTube、SNS、スーパーマーケットなど、生活のあらゆるシーンで広告に触れることになる。

食品業界を例に取るならば「脂肪は体に悪い」「糖質が悪い」「グルテンが悪い」「超加工品が悪い」といったメッセージが伝えられている。それに合わせて「タンパク質こそ正義」「ナチュラル」「植物性」「発酵」「腸活」などが、次々とブームになっては入れ替わっていく。そんな状況だ。
全てが間違っているとは言えないが、これらはあくまでも「コマーシャルメッセージ」、つまり「売るためのメッセージ」である。本来ならば「◯◯にとっては」「〜という状況においては」といった、細かな状況指定があるはずだ。多くの健康な人にとってグルテンは問題にならないし、糖質も過剰摂取でない限り、重要なエネルギー源のひとつである。そう、問題は栄養学的な知見がマーケティングによって”道徳”として祭り上げられることだ。

フォーマットに代入するもの

この現象を、宗教から切り離して抽象化してみよう。
まず、社会全体が「絶対原理型」というフォーマットで駆動している。そのフォーマットでは、中心となる「原理」が必要だ。原理を見失った時は、不安感が強くなり原理を求めるようになる。そこに「原理のように見えるもの」が提示されると、多くの人が飛びついてしまう。
繰り返しになるけれど、これはあえてステレオタイプに抽象化したモデルでの話。現実はもっと複雑だと思う。

興味深いのは、原理を見失った時に関係調整型に移行しないというところ。社会のフォーマットはそう簡単に動かないものなのだろう。だからこそ、新たな原理を探すことになる。

特に、食分野は顕著だと思う。日本を含めた他の国々は、その地域特有の文化背景や地理、気候に紐づいた伝統がある。絶対原理型が機能していたとして、強いマーケティングメッセージが発信されたとしても、中心にはもっと強い「伝統文化」がある。だから、大きく揺り動かされたとしても、ある程度俯瞰して全体を見ることが出来るのだろう。中心となる原理に相応しいものはなにか、を問うことが出来るのだ。
もちろんアメリカにも多様な食文化はある。ただ、巨大なマーケットとして見ると、地域や家庭に根ざした伝統よりも、強いメッセージのほうが表面化しやすいのかもしれない。

アメリカでは、中心となる原理を模索している段階なのだろう。そうだとすれば、あっちが良いと言われればそこに集まり、こっちの国のスタイルが良さそうだとなればそちらに集まる。過渡期にありがちな現象ではある。いずれは落ち着くべきところに落ち着くだろうけど、マーケットが一点に集中した時に大変な思いをする人が出なければ良いなとは思っている。

今日も読んでいただきありがとうございます。

いろんな「ものの見方」があって、それぞれが複合的に作用しているのが固有文化だと思うんだ。ひとつの型で言い表すなんて無理がある。ただ、こんなふうに考えを進めてみると、それはそれで見えてくるものもあって、ぼくらの未来を考える助けにはなりそうでしょう。
さて、関係調整型が基本となる日本は、今どんな変化をしているのだろうね。

データ参考:Gallup “U.S. Church Membership Falls Below Majority for First Time”

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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