芸術、美術、工芸、民芸。言葉そのものは耳にしたことがある。だけど、ちゃんと違いを説明しようとすると、これがなかなか難しいのだ。ふと思い立って調べてみることにした。
「芸術」と「美術」という言葉について
実は、どの言葉も日本語としては新参者らしい。芸術と美術は、それぞれアート、ファインアートの訳語として作られたのだ。
アートと芸術が対応しているというのはわかる。だけど、漢字をよく見るとアートに対する向き合い方が現れているようで面白い。芸の旧字体である藝は「人が両手に持った植物を土に植える様子」を表している。それが転じて技や才能を表すようになったらしい。つまり芸術という言葉は、特に「技術」に注目しているように見えるのだ。
日本らしいと言えば日本らしい。写実絵画を見てはその技術の高さに感動し、印象派の点描を近寄って観察しては驚く。ホントは「表現したいものを表現するための手段」でしか無いはずで、作者は表現された全体から感じてもらいたいのじゃないかと思うのだが。つい細部を見てしまう。というのは、やっぱりぼくも日本人だからなのか。
アートの定義を調べると哲学的な問答に行き当たる。ややこしい。
ということで、自分なりの感覚を言語化してみることにする。
アートには建築、彫刻、絵画、音楽、文学、舞台、映画などなど、様々な分野があるけれど、その共通点はなんだろうな。思い切りざっくり言えば「表現」ということになるだろうか。もうちょっと言えば、人々がより「心地良い」と感じるための表現という感覚。だから、あちこちに存在する。建物や器のように使用目的のはっきりしたものとアートが接続することもあれば、使い道など全く無い造形物がアートになることもある。
この中で、使用用途や目的を持たない「表現だけを取り出したもの」を「ファインアート」と言う。このファインアートのことを「美術」と日本では呼んでいるわけだ。
特にモダンアートはその傾向が強い気がする。マルセル・デュシャンの「泉」なんて、便器ではあるけれど使うものではないし、そこには技も存在しない。ただ、あるのは明確な意志の表現だけ。極端な例なのかもしれないけど、でもそういうことなのだ。家具や器の装飾は「ファインアート」とは言い難い。別カテゴリのあーとなのだろう。
殖産興業とアート
明治時代は、強力に近代化を推し進めた時期だ。列強国の圧力に耐えるための方策がいくつも取られた。そのためには先立つものが必要で、外貨獲得は重要な国家戦略だった。茶、糸、鉄など、売れそうなものはどんどん売る。そうした中で、漆器や陶磁器も輸出商品となったのだ。
漆器は既にヨーロッパで高い評価を得ていた。あまり知られていないけれど、マリア・テレジアとマリー・アントワネットの母娘は、日本の漆器コレクターだった。そうした背景もあって輸出そのものは順調だった。
どんなに美しい漆器も「容器」という明確な使用目的がある。だからファインアートとは呼べない。あくまでも日用品の延長上にあるアートなのだ。日用品のものづくりは工業の役割。だから、工業的芸術として「工芸」というカテゴリが成立した。日本国内でのカテゴリだ。これを輸出するとなった時に、なぜか「クラフト」と翻訳して説明してしまった。
19世紀当時、ヨーロッパ社会では「クラフト」は「ファインアート」よりも一段劣る存在として扱われていた。ギャラリーやミュージアムで扱われるのは、あくまでもファインアート。美しい蒔絵が施された漆器は、ヨーロッパ人の目から見ても明らかにアートなのだけれど、それでも日本人はクラフトだと説明する。このすれ違いはどこからやってきたのだろう。
日本の伝統的アート
日本では、古い時代から装飾芸術が発達してきた。表現のための表現というのは数が少ない。建具である襖を飾るための絵。遊女や歌舞伎役者のブロマイドとしての浮世絵。屏風も器も武具も実用品として扱われつつも、同時に装飾芸術として発達した。
決定的に違うのは「作家」の不在だと思う。もちろん、和歌や物語には作家がいる。そして、表現したいことを表現している。けれども、装飾芸術には作者はいても、作家という概念はかなり薄い。つまり、「作者の表現意欲」みたいなものがとても薄い。どちらかというと、発注者に意図がある。作者はそれを表現するという分業を行っている状態だ。
技術に注目してしまう傾向は、どうやらこうした成り立ちや構造にありそうだ。そもそも「表現」は和歌や物語の中にある。例えば「嫁いでいく我が子を思う親の気持ち」は、文章にして表現するのではなく、源氏物語の「初音」の情景を装飾に施すといった具合だ。
技術も素晴らしいけれど、こうした表現方法は現代的な感覚でみてもアートだと言えそうだ。
誰のためのアートか
こうした工芸品は誰が購入していたのだろう。もちろん、お金持ちだ。貴族や武士、少し時代が下ると成功した商人などが発注する。コストがかかることももちろんだけど、アートを理解できるリテラシーが必要なのだ。庶民の中には意図を汲み取れる教養人もいたけれど、多くは理解できない。金蒔絵などを見ても「すっごい派手」とか「豪華だな」という感想しか持てなかっただろう。
17世紀前半に建てられた有名な2つの建築がわかりやすい。ひとつは京都の「桂離宮」で、もう一つは日光の「東照宮」だ。見ればわかる通り、全く趣が違う。どちらも建築に携わった大工は、ほとんど同じだったらしい。これは、「作者が同じでも発注者が違えば大きく異なる」というわかりやすい事例。では、発注者の意図がこれほど大きくかけ離れたものになったのだろう。
発注者の文化的リテラシーの差。と言ってしまえばそれまでだ。けれども、それだけではない気がする。誰がそれを見るか、がポイントだったのではないかと思う。桂離宮は皇族の八条宮家の別邸として建設されたもの。当然、そこを訪れるのは文化的教養レベルの高い人達だけだったはず。つまり「読み解けるものにだけ開かれた美」ということになる。
これに対して、東照宮はどうだろう。まずターゲットになるのは諸国大名だ。とにかく徳川政権の力を誇示する必要がある。同じ意味では朝鮮通信使に対して、日本の文明レベルを見せつけるという意図がありそうだ。江戸中期ころからは、庶民の間で「日光詣」が大流行しているくらいだから、多くの庶民がド派手な建物を目にしただろう。
大名はさておき、朝鮮通信使や庶民に対して「日本の伝統的古典をベースに読み解け」というのは無理がある。だから、読み解きを必要としないデザインを施したとも言えるかもしれない。
伝統工芸を構造で考える
作るためにお金を出すのは誰か。鑑賞の主体は誰なのか。と考えてみると、なんとなく構造が見えてくるかもしれない。例えば、お金もちがお金もちのために創作を依頼するというのは、高級商品にありがちなこと。近世以前なら、注文を受けてから作るのが主流だったからオーダーメイドが当たり前。発注者の意向に沿ったものづくりが行われる。同じように、ぼくら庶民が依頼する場合は身の丈にあったものづになる。これまたオーダーメイドではあるものの、装飾などはなくシンプルなものになるだろう。
工芸というのは、本質が手工業。だから、量産を目的としていて、そのための技や知見がある。その技や知見を装飾に使うのが高級品で、量産に使うのが大衆向け。大雑把すぎるかもしれないが、そんな感じだろう。作者はどちらも対応できるが発注者に合わせて作り分けることができた。作者が個人ではなく集団だからこそ、より柔軟に対応できたのだろう。そんな気がしている。
伝統工芸の技や知見をアートに昇華するためには、つまるところ金持ちが発注するしか無いのだろうか。現代では、受注生産よりも完成品を提示して販売するスタイルが一般的だ。だから、購入してくれそうな金持ちを探すしか無いということになる。なかなかシビアな世界である。
大衆のための創作の中から、ときどきとんでもない一品が生まれることがある。美は作り出すものではなく発見するものだと言ったのは柳宗悦。民藝運動の始まりだ。作家が美を計算したのではなく、ものづくりに集中した結果生まれるもの。この思想は、どこか千利休を思い起こさせる。
民衆の手による芸術として提唱された民芸は、柳宗悦の意図とは別の流れを生み出した。美を発見するためには、それが美しいと判定する人が必要になる。柳は、みんなが自由に判断すれば良いと思っていたかもしれない。だけど、柳が美の判定者となってしまい、柳が判定したものが売れるという構造になる。そうすると、売れるものを手本にしたものづくりが始まり、少しずつ似たようなものが市場に増えることになってしまった。じわじわと、自主的に。
ものづくりと芸術
ものづくりを、主に芸術の観点で調べてみた。言葉の定義に疑問をもったのがきっかけだったけれど、想像以上に複雑な「カテゴリー分け」があったのには驚いた。全体を俯瞰して整理したわけではなく、その時々で分岐していったために、後には伝統工芸や近代工芸、工芸の技を利用した美術などカテゴリーは多岐にわたる。おかげでわかりにくくなっているのだけれど、一つ一つを紐解いてみると「たぶん似たようなことが他の領域にもあるんだろうな」と想像することが出来た。
食分野でも、ファインアートに近い料理もあれば、量産向けの料理もある。誰がお金を払い、誰が享受するのかは、それぞれに異なる。もちろん、目的も違う。分けて考えると全体像を見失うこともあるけれど、場合分けすることで見えてくることもある。混沌としたフード産業を読み解くならば、一旦整理してみるのも良いかもしれないと思っている。
今日も読んでいただきありがとうございます。
言葉と認知の関係を観察してみると、とてもおもしろい。だけど、おもしろがっているうちに損をする人が出てしまうのもおもしろくない。なんとかならんものかなぁ。と思うものの、ぼくに出来ることは限られているので、こうして勉強してみては話したり書いたりしているわけだ。