今日のエッセイ-たろう

落ち葉が告げる秋。どうする枯れ葉の処理。 2024年9月2日

暦の上ではとっくに秋になっていて、少しずつ秋らしい秋に向かっているはず。相変わらず暑い日が続くから、ちっとも秋が来ているような感覚がないのだけれど、それでも朝晩は少し過ごしやすくなったようだ。

春には満開だったサクラも、きれいな緑色の葉を茂らせた夏。そして、茶色く変色した桜葉は庭や家の周りに降り注いでいる。情緒ある風景といえばそうなのだけれど、それらを片付けなければならない我が身としてはため息のひとつもつきたくなるというものだ。いつになったら終わるのだろうか。いや、それはわかっている。見上げた枝についている葉が全部落ちきったら終わりだ。だけど、もうしばらくは続きそうだということもわかっている。

落ち葉や枯れ枝、それからあちこちの雑草は集められ、そしてゴミ箱に入り、やがては焼却場へ運ばれて灰となる。庭や畑の炭素やら窒素やらを吸って育ったはずのそれらは、遠く離れた別の場所で炭化される。で、それはまた別の何処かで埋められてたり、一部は肥料となって循環したりするわけだ。

カーボンニュートラルを考えるならば、ゴミ箱に放り込まないほうが良い。ということにはなる。畑の雑草は、畑の中で処理ししてしまうに限る。そうすれば、いずれ土の栄養になって循環してくれるから。農業っていうのは、土の栄養を野菜や果物という形に変換して出荷するということだ。出ていった分、土の栄養が減る。究極的にシンプルに言ってしまえばそうなるだろう。だから、雑草や稲わらは埋め戻される。

じゃあ、この眼の前にある落ち葉や枯れ枝はどうすれば良いのだ。土に還したほうが地球には優しいだろうとは思うのだけれど、現実に存在するコレをどうしたものかと頭を抱える。なんとなく、通路の片隅に積み上げたまま判断保留にしていたかたまりがある。掘り返してみると、下の方は少しばかり腐葉土っぽい雰囲気を醸し出している。とはいえ、コンクリートの通路にこれを置きっぱなしというわけにも行かない。このままにしておくと、新たな腐葉土の上に雑草が芽吹いてしまうのだ。

日常の行動に落とし込もうとした途端に、いろんなことがうまく行かない。落ち葉だって、勝手に山に捨てれば不法投棄ってことになる。公園に持ち込むわけにも行くまい。掛川みたいな田舎だったら、それでもまだ知り合いに一声かければなんとかなるだろうけれど、都会はどうするのだろう。公園の落ち葉、ベランダの花やプランテーションで野菜を収穫したあとの茎や葉っぱ。みんなきっとゴミ箱行きだ。

廃棄された植物を郊外まで運ぶとなったら、輸送コストが発生する。フードマイレージならぬゴミマイレージだ。けっこうな重量になるだろうから、結局近場で集めて灰にするのがコストが低いということになるのか。そうすると、遠く離れたところから野菜というカタチで運ばれてきた栄養は、畑に帰ることなく別のところで埋められるということになるんだろうか。

海外から肥料を購入して、その栄養を使った野菜などが大消費地へ運ばれて、人間に利用される。利用されなかった栄養は灰になって海に積み上がる。埋立地は、畑じゃなくて工場や団地になる。ホントにこんな循環しているのかな。これは、ちゃんと勉強しなくちゃいけない。

落ち葉を眺めながら、そんなことを考えた。考えたら、ゴミ箱じゃない落ち葉捨て場を作ろうという気にはなった。だけど、営業開始前の時間にじっくり作業する気にもなれず、「そのうちな」というのも本音だ。幸い、我が家ではあまり深く考えなくても枯れ葉を放棄できるゾーンがある。とりあえず、そこがいっぱいになるまでは猶予がある。

今日も読んでいただきありがとうございます。生ごみ処理機のキエーロ(https://sdgs.yahoo.co.jp/originals/122.html)ってあるでしょう。すごく良いと思うんだ。どんどんやればいい。あとはこの土をどうするかってことだけど、都会は土が少なすぎるから、まちの中でどうにかできると良いよね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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