古代エジプトはとても豊かだった。というのは、一般教養として中学校や高校で習う。「ナイルの賜物」と言われて、時々ナイル川が氾濫するおかげで肥沃な土を得ることが出来たからだ。豊かであるからこそ、それは確かにその通りなのだとは思う。けれども、それだけが理由なのだとしたら、紀元前10世紀頃から衰退し、紀元前4世紀には滅ぼされてしまうほどに国力が衰えた理由がぼやけてくる。豊かであるということは、それだけ国力があるということで、国力があるからこそ周辺国の侵入を防ぐことが出来たのだ。ナイル川は依然としてそこにあり、気候変動はあるとしても、豊かさを与えてくれる存在であり続けていた。どこで豊かさを失ったのか。
ファラオはピラミッドを建造するほどの権力と財力を持っていたというのは周知のとおりだ。少し前の歴史観だったら、ピラミッド建設のために奴隷が働かされていたということになっていたが、今ではそうではない可能性が高いと考えられている。いわゆる公共事業。きちんと給料が支払われていて、労働者もそれなりに豊かな暮らしを送っていたという。なにしろ、貧しい人でも家にカマドがある。他の地域なら焚き火のようなものが普通なのに、だ。
この国力を支えていたのは、優れた中央集権的官僚システム。特に、徴税の仕組みがスゴイのだ。徴税官は国家官僚で、国家から給料をもらって仕事として徴税を行っている。地租がベースだが、正確に土地面積を測って、的確に収穫量を予測する。この計算の仕組みをまとめたのがユークリッド幾何学に繋がっている。
現代人から見れば当たり前のことのようだが、歴史を俯瞰してみれば極めて珍しい。だいたい、徴税は誰かに委託することのほうが一般的。領主なり徴税官なりに任せておいて、彼らから一定の額を国に納税してもらう。領主が庶民からどの程度の税を徴収するかについては、国は関与せずに領主に任されている。当然、マージンが必要だから領主が国に支払うがくよりも多くの税が課せられることになるし、必要以上に課税する領主だって現れる。こっちのほうが事例としては圧倒的に多い。
「慈悲のある振る舞いをせよ」というのが、ファラオが徴税官に命じたことだ。貧しい農民が納税できなかったら3分の1まで減免せよ、納税ができなくて万策尽きた者を追い込んではならない。といった命令も記録に残っている。
中央集権国家は強い。当たり前だけれど、国家全体の力を一箇所に集約して効率よく機能させるのだ。ばらばらの状態よりもずっと良い。そのためには、庶民に重税をかけて疲弊させては意味がない。庶民も豊かで国庫も潤う。国の財産は、国の良きことのために使われる。難しいバランスだったけれど、古代エジプトはこれを成し遂げていたという。
歯車が狂い出したのは紀元前1300年ころから。徴税官が私腹を肥やすために不正を働くようになるからだ。中抜する。そうすると、財政が厳しくなった国家は税率を上げる。疲弊した庶民は税を払うのが馬鹿らしくなってしまい、畑を放棄するものも現れる。そんな庶民の拠り所となったのが、神殿だ。日本でも似たようなことがあったが、アメン神殿の土地や収穫物には税がかからず、そこで働く人達も人頭税を払う必要がなかった。そうなると、庶民は神殿で働いたり寄進することを望むようになり、アメン神殿、神官の権力が強くなっていく。
これを嫌ったイクナートンが、世界最初の遷都をして進行する神をアメンからアトンに変えるのだが、それも彼の存命中だけのこと。その子であるトゥト・アンク・アメン、通称ツタンカーメンは、その名にアメン神の名を持つのは、神官たちの圧力でアメン神殿に信仰を戻させたからだという。
国家と民衆の財のバラスが悪いと駄目になる。これは歴史に学ぶところ。バランスを崩す原因が、例えば徴税官の腐敗だったり、戦争だったりする。お金の使い方が下手だったり、使い道が多すぎたりしてもやっぱり駄目。結局、国の財政が傾いて、重税を課すようになる。そうすれば、お金を生むはずの民衆がお金を産まなくなるし、逃散する。土地は荒廃するし、産業は衰退する。何度も繰り返された歴史上の事象だ。
今日も読んでいただきありがとうございます。ホモ・サピエンスって、集団で一致団結することが強みなんだって言うよね。個々は弱いけど、まとまる力が強い。他の動物からしたらコミュ力お化け。で、その力をうまく集める機能として税という仕組みが生まれたんだよね。これ、ホントに難しいんだろうな。集団が大きくなればなるほど難しいと思うんだけど、だからといって小さくすると他の大きな集団に駆逐されるリスクがあるし。あと、何回繰り返すんだろうなぁ。