日常生活で必要な時刻の精度ってどのくらい? 2022年6月28日

現代のぼくらは、だいたい時間を気にしながら生きている。もしかすると、時間に縛られている感覚すらあるかもしれないよね。仕事でも、何時から会議があるとか、何時までに出社しなくちゃいけないとか、そのためには何時の電車に乗るとか。下手をすると、お昼ごはんを食べるタイミングも時間で決めているかもしれない。12時になったからお昼ごはんを食べようってね。本来は、お腹が空いていなければ食べなくてもよいわけだ。

お腹が空いたらなにか食べる。そんなものだ。

もともと、人類はそういうスタイルで食事のタイミングを決めてきた。とはいえ、結局規則正しい生活をしていると、だいたい同じようなタイミングでお腹が減るんだけどね。ルーティーンなんだから、まぁしょうがない。

ちょうどお昼ごはんの話をしたついでにいうと、お昼ごはんという概念が登場するのはいつ頃からだろう。日本においては、江戸中期以降だったと記憶している。朝餉と夕餉があって、昼ごはんは「食事」ではない。お腹が減るから完食はするけれど、ちゃんと卓について食べる食事という感覚じゃなかったみたいなんだよね。基本的には一日2食。同じ人間なのに面白いよね。一汁三菜で一日三食。これが健康を保つ食事だということになったのは、近代に入ってから。それも、ちょっと根拠が薄い。社会性動物であるサピエンスの興味深い行動の一つかもしれない。

さて、時間の話だ。

もともと、人間社会において時間や時刻というのは、けっこう曖昧だ。「だいたい」で通用する。例えば会議が1分長引いたとしても、大して気にしないだろう。入試で残り3分というタイミングでの1分はメチャクチャ貴重ではある。マークシートが一つズレていたなんてときは、血の気が引く思いがする。そういうのは、特別な条件が付帯してるときだと思うんだよね。おおよそ、数分の範囲内に収まっていれば、社会生活としては全く問題ない。

時刻や時間に対して、どの程度の精度で満足できるか。個人差はあるだろうけれど、そういう曖昧な感覚で生きているんだろうなあ。

ところが、科学は時を計ることの精度を向上させ続けてきた。お寺や教会の鐘が時刻を知らせていた時代には考えられないほどの精度だ。ガリレオの振り子の等速原理から始まって、ホイヘンスが脱進機を発明して、水晶をつかったクオーツが登場する。月差5秒なんて、そんなに気にならないだろう。月に5秒ズレたところでどうってことない気がするんだよね。一日に5秒ずれていても、ひと月にすれば2分半くらいか。月に一度調整すれば済む話だもん。

もともとは、大航海時代に合わせて時計の技術発展があったらしいんだ。船の正確な位置を知るためには、どのくらいのスピードでどのくらいの時間進んだかを知ることで計算することができる。星をみて位置を測定するのも限界があるからね。誤差50kmとか100kmとか言われたら困っちゃう。振り子時計は移動させられないから、バネ式の時計が発明されることにつながったらしいんだよ。

だけど、それでも月差15秒もあれば十分だとされていた。だって、ぶつからないから。ズレが少量であれば、あとは陸地を目視して位置を確認すればいい。だから、これもコンマ数秒という誤差は気にしていない。

じゃあ、現代の時計はなんのために高精度になったのか。それは、人工衛星のためだ。地球の大気圏をグルグル回るわけだけど、その距離は地上では感覚がつかめなくなるくらいの距離感。速度も早いし、物体も大きい。そのなかで、たくさんの人工衛星がひしめき合っているわけだ。そうすると、わずか30mのズレでも衝突の危険があるんだってさ。だから、それぞれの人工衛星に搭載された時計は時刻を共有していなくちゃいけないし、ズレちゃいけない。凄まじいまでの緊張感がある話だ。そりゃそういう世界では正確な時刻が必要になるんだろう。

一般的な日常生活においては、これはほとんど無用の長物だ。せいぜいスポーツのタイムを計るときにストップウォッチが必要なくらい。なのに、なぜ一般生活の中で高精度の腕時計が販売されていて、それを購入するのだろう。まぁ、だからこそ自動巻きを好む人もいるし、文字盤だってアナログ式を好む人もいるんだけどさ。

本質的には、標準時刻にピッタリの時刻なんて求めていない。という前提に立ってみる。だとすると、考えられるのは手間だ。とにかく、ズレたときに調整するのがめんどくさい。常に正確な時刻を示してくれていれば、出かける前に時計を合わせる必要なんて無い。ソーラー電池で、電波時計なんてメンテナンスフリーの最たるものだ。それが百パーセントじゃないけれど、とにかく楽。電波を受信する頻度は1日に2回あるというのが基本らしいのだけれど、別に1ヶ月に1回でも問題ない。とにかく煩わしいメンテナンスから開放されればそれでことは足りているのだ。

メンテナンスから開放されたいという気持ちはよく分かるんだ。時計とは違うけれど、ぼくは以前から革ジャンが好きで、いろいろと購入していた時期があった。見た目がかっこいいとか、機能性が良いという面ももちろんある。というかメイン。なんだけれど、どこかで長持ちという部分を見ていたかもしれない。最高の一着を購入しておけば、長年着られる。多少コストがかかっても、何度も書い直す必要がない。レザーに比べれば綿布は劣化しやすいから。カバンもレザーが多いのはそういう側面があるんだろう。

ご存じの方は、これがおかしいということに気がついているだろう。レザーはメンテナンスが必要だからだ。だったら化学繊維で耐久性の高いものを購入したほうが楽だ。もっと言えば、布の服がだめになったら書い直すというスタイルのほうが、メンテナンスが楽かもしれない。

知識がなかったせいで、よくわからないことをしてしまったんだよね。革靴が多くて、レザージャケットがあって、カバンも革製。だから、結果的にメンテナンスをする羽目になったんだ。だって、劣化しちゃうでしょ。そんなに安くないわけだし。やらなきゃしょうがない。

でね。思ったのよ。劣化していってもメンテナンスし続けるって、なんだか良いなあって。電車に乗るにしても、朝起きるにしても、あんまり細かく時刻を気にしていると見過ごしてしまう風景ってあるじゃない。鳥の声が素敵だなとか。あれ、ホームの隅っこに花が咲いているとかさ。

メンテナンスをやりだしてしまえば、習慣化してしまえば、さほど苦しくはない労働なのだ。なんなら、レザーの表情が変化して味わい深くなっていくのを楽しむ時間というのは、思った以上に心に豊かさを与えてくれる。この作業自体を楽しむことさえあるくらいだ。

だけど、メンテナンスには時間がかかる。そのための時間を捻出しなくちゃいけない。これがやっかいなんだろうと思うんだ。そのくら忙しいし、そのくら時間をシビアに消費しているということになる。

これってさ、なんだか心が乾いちゃいそうでちょっと怖いかも。食事だって何時までに終えて仕事に戻らなくちゃいけない。睡眠時間だって削る。忙しくて趣味に費やす時間がない。どうなんだろうね。ホントに仕事の効率を向上したいのなら、そしてその精度を上げていきたいのなら、余白の時間を持っておいたほうが良いはずだ。時間に追われて焦っている時って、あんまりまともなアイデアが浮かばないからさ。このアイデア最高!とその瞬間は感じたとしても、数日たって考え直してみるともっと良いものが見つかったり、そもそもしょうもないアイデアだったと気がつくこともある。

人体への影響と食事の関係で言えば、時間に追われて食事をした場合と、親しい人と楽しく食事を楽しんだ場合では、栄養摂取の効率に違いが出ることがわかっているそうだ。そんな文章をどこかで読んだんだよ。出典を忘れてしまったので、あまりはっきりとは言えないのだけど。どうやらそうらしい。

多少のルーズさって、あった方がいい。というかないとおかしくなる。万度ルーズというのは、現代社会では成立しないだろうけれどね。だからこそ、時にはルーズに楽しむ時間を意識的に作ったほうが良いのかな。メンテナンスという意味でもね。

そうそう。食事という人類の文化の変遷のなかで、ただの栄養摂取だったものが心の栄養補給に遷移していった。それは、長い歴史から見れば新しい食事文化といえる。この新しい食事文化が一般化したのは、日本では昭和中期以降。この文化をどのように捉えるか。栄養摂取に特化して、それを食とするのか。それとも、心の豊かさや人とのコミュニケーションの場として捉えるのか。美味しさが心を解きほぐすという経験は、なにかしら人間にとって有用なものであるような気もするのだ。

アートや音楽、自然を楽しむような感覚で食と接することが出来たなら。それだけで、日常生活の捉え方に膨らみが出そうだ。

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