ブログを書くという習慣のはなし 2022年6月27日

たべものRadioにブログを掲載し始める前は、掛茶料理むとうの公式ページにアップしてきたんだ。500日以上にわたってね。自分でもびっくりしているんだけれど、ほぼ毎日。ただ、アップするのが毎日というだけでちょこちょこ書き溜めてたりする。実際、こちらのブログでも同じことをしていく予定だ。

過去ページを見てもらうとわかるのだけれど、実は1週間近くブログを書いていなかった。もちろん、何もしていないわけじゃなくて、たべものRadioの原稿を進めていたし、料理もしていたんだけどね。ただ、少し書くことを休止しただけで思わぬことが起きたんだ。

起きたといっても、自分自身の変化だ。これには、ちょっと驚いた。

書かないでいることが気持ち悪くなってきたんだよね。ソワソワする。確かに忙しかったし、一本あたり2000文字前後のブログを書き続けるのだから、それなりに負荷がかかる。だから、休止中は楽しているような感覚があったんだ。このまま、やらなくなっちゃうかもなあ。なんてことも脳裏をよぎったくらいだ。

なのに、なんだか気持ちが悪い。これは、ぼくにとってはとても新鮮な驚きだった。

居心地が悪いという表現のほうがしっくりくるかもしれない。

Radioの原稿を書き進めなくちゃいけない。次の収録のタイミングに間に合わないかもしれない。料理の仕込みを逆算すると、もしかしたらRadioの配信をスキップしてしまうかもしれない。そんなときでも、○日の分まではブログを書いて投稿予約をしておこう、ってね。しんどかったんだけど、いや今でも結構な負荷がかかっているのだけれど、それでも続けることの効果を感じているんだよ。

喋ること以外に、書くという行為で思考を深めていたのかもしれない。このブログは、基本的に文章構成を精査していないし、結論や伝えたい事が予め決まった状態で書いているわけでもない。デスクについて、思いつくままに言葉を並べているだけだ。

書きながら、自分でも思ってもいなかったところに着地することもしばしばある。そのおかげで、気がついていなかったところにスポットライトが当てられることもある。なんだか壁打ちでもしているみたいなんだ。壁に向かってサッカーボールを蹴る。そしたら、想定外のところにボールが返ってくることがある。狙い通りのこともある。向かってきたボールは、ちゃんとキレイにトラップしないといけないし、次にどのような動作をするかによって、ボールを着地させる位置も違うわけだ。そんなことを、思考でやっている感じ。

ホントは他人と思考のやり取りをしたほうが良いのだろうけどね。そのためには、お互いに時間を合わせなくちゃいけないし、毎日やるのはしんどい。週に一度くらいは兄弟で似たようなことをやっているんだけどさ。これが毎日というわけにはいかないから。そうなると、このブログを書くという行為は、とても有用なんだということに気が付いたんだ。

いやあ、ブログを書き始めても数回でハングアップしてしまっていたのになあ。実は、何年も前からちょっとだけトライをしてきたんだよ。はじめては数回で終了。アフィリエイトってどんなもんだろうと思ってスタートしてみては終了。お店の広告として必要と思ってはスタートしては終了。

ところが、「○○のために」をやめた途端に続くんだ。いや、正確には「自分のために」だね。あとから読み返してみたときに「おもしろい」と思えることを書くようにした。それだけなんだけど、なんだか続くようになったんだよね。不思議だ。

○○のために。それが仕事であっても家庭のことであっても、自らのことであってもいい。○○に当てはまる語句は、自分に合ったものなら良いんじゃないだろうか。人それぞれに、モチベーションが湧き出すポイントが違うんだと思うのよ。僕の場合は、広告や収益のために書くということがイマイチ腑に落ちなかったんだろうね。理屈じゃなくて感覚的なものでさ。人によっては、金銭目的のほうがやる気が出るかもしれないし、人助けで燃えるかもしれないし、自己顕示が良いというかもしれないしね。どれでも良いのだと思うよ。

そうだ。そこに一つルールをつけておくと良いかも知れないなあ。条件といったほうが良いかもしれない。サッカーで言えば、手を使わない、みたいなもの。

例えば、そうだな。アフィリエイトかなにかで収益を上げるためにブログを書くとするじゃない。そのためには閲覧数を伸ばす必要があるし、クリック数を稼いだり、販売に繋げたりしなくちゃいけないわけだ。極端なことを言えば、ちょっとグレーゾーンに踏み込んだ記事を書けば収益を上げることが出来るかもしれない。短期的にだろうけど。そこに、条件をつける。ユーザーの不利益になることを書かないとか、傷つくようなことを書かないとか。ネガティブよりもポジティブな方が良いよね。読んだり購入したりした人が、少しでも幸せになれるようにする。とかさ。

それを踏まえてぼくのブログはなんだろうなあ。自分自身の思考を深めるためにやっているような感覚がある。あとは、学んだことを整理するとか、忘れないようにするとか、まれに思考実験をしてみるとか。意味もなく筆を進めることもあるしなあ。僕自身を楽しませるために書いているのか。意外と難しいな。なんだろう。

それに、条件はあるのか。公開している以上は誰かを傷つけたり不快にしてしまうことは避けようとは思っている。でも、それってメインじゃないんだよね。やっぱり、これも自分自身に向かっているような気もするし。自分が面白いと思わないことは書かない、かもしれない。

これは困った。ブログを続けることを身体感覚レベルでインストールしてみた結果、これはぼくにとっては有効だということはわかった。そのポイントや理由もなんとなく言語化できそうな気がしている。なのだけれど、もっと根幹的ななんのために書いているのか、どういう理念を設定しているのか、これらが不明瞭な気がしてきた。ぼくの中では不明瞭というほどでもないんだけど。言語化が出来るレベルじゃないんだよね。

しばらく、ブログを書くという行為について思考をしてみようかな。例によってしばらく寝かせるけど。誰にも見せる予定がない日記もそうだよね。日々の記録以外の何かがあるんだろうからさ。だから、世界中のあちこちで日記を書いている人がいる。

今日も読んでくれてありがとうございます。疑問が残ってしまったけれど、疑問を設定できたとも言える。ブログを書くことの、具体的な効能の一つかもしれないな。

記事をシェア
ご感想お待ちしております!

ほかの記事

水資源と環境保全について、いま思うこと。 2024年5月20日

課題があるからやめよう、というのは思考が短絡的だ。必要なこと、良いことをしようとするならば課題を解決する道を探ることが肝要だ。というのは、あちこちでよく聞く話。基本の基と言っても良いくらいだ。全く異論はないのだけれど、この考え方だけが常に正しいわけでもなさそうだ。...

田舎のまちづくり、あるある話 2024年4月21日

田舎に帰ってきて、そろそろ10年になる。びっくりするくらいに変わったような気もするし、特になにも変わっていないような気もする。僕自身の変化で言えば、ずいぶんとゆっくりになったかな。歩くのも遅くなったし、動きも遅くなった。チャレンジ自体はするのだけれど、結果を求めるスパンが長くなった。...

消費量に上限がある食産業で、持続可能性ってどういうことだろう。 2024年4月17日

フードファイターってすごい量を食べるよね。一度に何kgも食べるのだけど、それってちゃんとエネルギーとして使ってるのかしら。よくわからないけれど、苦しそうに食べ物を食べている姿って、つくり手としてはちょっと寂しいんだ。だから、あんまり好きじゃない。...

料理の盛り付けどうやっている? 2024年4月16日

身近なところではあまり聞かなくなってきたのだけれど、身だしなみってやっぱり大切。今頃の季節は、社会人一年目の人たちが先輩や上司から言われているのだろうか。なんだか、型にはめられているようで嫌だという人もいるけれど、身だしなみというのはそういう話じゃない。キレイだとか美しいだとか、そういう感覚のもの...

民主化して広がるものと、そうではないもの。 2024年4月13日

元禄文化の最初の頃に活躍した松尾芭蕉。日本の義務教育を受けた人なら必ず聞いたことがある名前だし、有名な句のひとつやふたつくらいは諳んじられるはず。「夏草や」、「古池や」、「五月雨を」などと最初の歌いだしだけでもそれが何かわかるほど。個人的に好きなのは「海暮れて、鴨の声、ほのかに白し」。...