今日のエッセイ-たろう

不要不急のモノゴトこそが、ボクらの本質なのかもしれない。 2023年6月10日

やっと長い長いトンネルを抜けようとしているはずだ。もちろん、パンデミックのことを言っているのだ。抜けられるはずなのに、いまだに自粛警察的なものがゼロにならないのは、どういうこsとだろうか。休日にショッピングモールなどに出かけると、多くの人がマスクをしている。そういうぼくたちも、接客をするときだけはマスクをすることが多い。一部の顔馴染みのお客さまの前でそのようなことはないのだけれど、どこかで売上に影響があるかもしれないと言う不安が残っている。

コミュニティ、つながりの希薄さ。少々思考が飛躍しているようだけれど、そういったところにも因果関係があるのじゃないかと思ってしまう。というのは、ぼくがそう思うだけなのだろうか。

ホモ・サピエンスというのは、集団を形成することで厳しい時代を生き抜いてきた生き物だという。その前提があって、機能する仕組みをいくつも試してきたのが人類の歴史そのものだ。ルソーやアダム・スミスが言うように、直接民主主義や神の見えざる手は、お互いの感情が想像できるという集団において機能すると言っていたように解釈している。

だとすると、ぼくたちはどのようにして集団を作ってきたのだろうか。一体感というと、なんだかウェットな感じがするのだけれど、案外そういうものかもしれない。共同体と言い換えても良いのだろうか。神事を行う中で、直会という共飲共食の文化があった。茅葺き屋根を葺き替えなければならない時には、金銭的な報酬などなく村のみんなで手伝った。村の道に草が伸びて使えなくならないように、それぞれに自分の時間をみつけて草をとった。日常の暮らしの中ではハレに該当するのかもしれないけれど、生活サイクルの中に共同体を形作る仕組みが組み込まれていたように思える。

共同体をつくる仕組み。と言う言葉の真意は、感情的なつがなりをもつということだ。形だけ手伝ったり協力すると言うことではなく、本質的な意味がそこにはあったのではないだろうか。それが、いつのまにか「参加しなければ村八分になる」という、所属の中のポジションを気にするように「気持ち」「解釈」が変わってしまったのだろう。

本質的な意味とは、身体感覚を通した共感、贈与だ。とぼくは思う。一緒に食事をすることは、身体感覚を通した共感。これは、オンラインでは「体験」できない感覚だ。直接触れないとしても、手を伸ばせば触れられる距離にいること。料理を取り分けたり、さしつさされつで酒を酌み交わしたりすることも、広義では「接触」に含まれるような気がする。

茅葺き屋根の葺き替えは共同作業の側面が強いが、どこか贈与という側面があると思う。その場で対価を交換することはしない。自分に返ってくるかもしれないし、返ってこないかもしれないし、他の人へ恩送りをするかもしれない。贈与を受け取った人は、受けた恩を返さないと居心地が悪い。そういう人が多数派を占めるだろう。これは、感覚でもそうなのだけれど、そのような恩返しのマインドが埋め込まれた人が生物進化的に生き残りやすかったと言える。

こうした「共感」と「贈与」は、もっともっと日常の中にたくさんあるはず。何も生み出さなくても良いから、ただ一緒にいるということでも良いのかもしれない。わかりやすくいうと、家族という人類にとっての最小コミュニティは、共感と贈与で成立している。家族と一緒に何かをする。家族のために何かをする。そこに、経済合理性に基づく交換は存在しない。そもそも、経済合理性だけで測ってしまうと、家族など持たない方が良いという論理すらも成立してしまうかもしれない。そういう意味では、経済合理性があるという理由で結婚するのは「コミュニティの形成」という意味では非合理的なのだろう。

さて、ダラダラとコミュニティのことを考えてきたのだけれど、たった今気がついたことがあるので書いてみようと思う。コミにティを支えている「つながり」を形成するものは、だいたい不要不急なのではないだろうか。

一見すると、友人と会食をすることは無くてもよさそうに見えるかもしれない。同じように、お祭りやイベントだって、無くてもよさそうに見えるかもしれない。実際に、パンデミックの最中ではこれらの事柄は「不要不急」とされ、「あった方がいいけど、別に無くてもいいよね」という認識がどこかにあったような気がするのだ。

一般的に「不要不急」だと思われていることは、経済よりももっと根本的な「社会の形成」にとって「必要不可欠な前提」を支えているのかもしれない。以前も書いたことがあるけれど、悪いことを引き起こしている「何か」は、別の良いことをも支えているかもしれない、である。

ちょっと極端な物言いに受け取られるかもしれないけれど、あえて言語化する。「そもそも人類は不要不急のモノゴトによって社会が形成されている」

今日も読んでくれてありがとうございます。一緒に遊ぼう。もっと人と会おう。食事でも飲み会でもいいし、キャンプでもイベントでもいい。そういうメッセージが今の日本には大切なんじゃないかな。遠回りかもしれないけれど、案外そんなところから社会が変わっていくことだってあると思うんだよね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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