ずいぶんと前のことだけれど、市内のアートイベントの手伝いをしたことがある。知人の知人。ぼくよりも年長の方が地元でまちなか現代アート展を開催するという。掛川市という小さな町から更に郊外。昔懐かしい風情の残る宿場で、生活感あふれる地域だ。直接お話を伺ってみると、実務というよりもアドバイザー的なことを望んでいるという。
何を求められているのだろう。ぼくに何が出来るだろう。よくわからないままに、面白そうだからという軽い気持ちで引き受けてしまった。
まずは聞き取り。主催者からどんなイメージを持っているのか。どんな人に届けたいのか。滞在時間はどのくらになるだろうか。来場数はどの程度を期待しているのか。地元の人達との関わりはどうするのか。開催後は地域の人達にどんなものを残したいのか。とにかく、聞けるだけのことはインタビューしてみた。曖昧なところは一緒に考えた。考えるために必要な情報はコツコツと調べて、参考になりそうなもので、遠くなければ実際に足を運んでみた。週に一度は現地をブラブラと歩き回って、妄想しながら周囲を眺めてみたり、思いつきでそのあたりの家を訪問して世間話などをしてみた。
地元で結成された実行委員会の全体会議に参加したのは、初期と直前と期間末期の3回ほど。こいつは誰だ?なんでここにいるんだよ。という厳しい視線もあったけれど、事前にあちこち訪ねて回ったのが良かったらしい。比較的すんなりと受け入れてくれた。きっと、よそ者の視点、客観的な視点が欲しかったんだろうな。およそ1ヶ月の開催期間は、地元の人達が知る限り最高の来訪者数と温かな交流のある盛り上がりを見せたそうだ。
今更こんなことを書き出したのは、地方行政のイベント企画について思うところがあるからである。多くの場合は、外注する。規模や金額が大きくなればなるほどアウトソーシング。それはある程度仕方がない。気になっているのは、主催者にイメージがないのだ。委託先からイメージが出てくるまで待っている。どんな思いがあってイベントを企画したのかが不明瞭というか、無い。だから、外注企業を選定するときにも規準がない。細かなものは決められているけれど、理念がない。結果として、ふわふわとしたまま「見た目のキレイなもの」「プレゼンの上手なもの」に着地することが多い。
選考委員会には民間から選ばれた人が参加することがある。本当なら、主催者のイメージと民間人のイメージのすり合わせをして、その上で庁外の視点を取り入れるために実施される制度だと思う。しかし、実際のところは「市民も参加して選んだ」という事実が欲しいだけなのかもしれない。少なくとも、過去に参加した選考委員会はそのように見えた。
こんな調子だから、主催者はイベント企画から実行までのステップを紙面上でしか知らない人がほとんど。何が必要で、どのくらいの人が動いていて、まちとの関わりはどうするのか。そのイメージがぼんやりしている。だから、地域や関連団体を集めた説明会はふわふわしている。協力を求められた人たちも、何をして良いのかさっぱりわからないと愚痴をこぼす。
外注する理由は様々。わからないからお願いしたい。ある程度はやってみたけれど、もう少し高次元にしたいから専門家に手伝って欲しい。内製で実行するにはリソースが足りないから、やってほしい。などなど。複合的な思惑で仕事を依頼するわけだ。
危なっかしいなと思うのは、丸投げしたとき。結果が「なんとなく」芳しくないとか、主催者はまぁまぁ良かったと思っていたけれど、周りの人たちからは評判が悪いという場合に問題が起きる。反省点が見えないのだ。だから、委託先事業者を間違えた、という反省が中心に来てしまう。行政では頻繁にPDCAという言葉が使われる。そんなに好きなの?っていうくらいに資料に頻出する。プランも実行も他人任せで、あまり内容を把握できていないし、体を動かしていないから自分事として「腹落ち」していない。その状態で、チェックが機能するのだろうか。チェックが機能しなければ次のアクションに繋がることはない。
もう文化になっちゃっているらしくて、新人まで管理職みたいな仕事をしているのね。いや、そういうお仕事も必要なんだけど、身体知って大切だと思うんだよね。今年のイベントだけど、ちゃんと現地を訪れて歩いてみたりしているのかな。これ、いろんな地域で起きている課題らしいね。もちろん、そうじゃない人も地域もたくさんあるから、全てではないけどさ。
今日も読んでいただきありがとうございます。ちょっときつい感じの文章になっちゃったかな。こういう内容のときこそ、軽やかにウィットに富んだ展開ができて、それでいてちゃんと主張できるような表現ができれば良いとは思うんだけどね。