今日のエッセイ-たろう

フードコミュニケーターは育成可能なのか? 2024年8月18日

昨日のエッセイで、「専門的な知識を噛み砕いて伝える役割が必要なのでは?」と書いた。ただ、現在のところその分野で収入を得られる状態になれるのは、ジャーナリストとかデザイナーとか、一部の人たちだけかもしれないと思っている。なんというか仕組みが無いのじゃないかと思うんだ。少なくともぼくは、マネタイズがうまく出来ていないのだが、それはビジネススキルもコミュニケーターとしてのスキルも足りないだけなのだろうか。

ぼくのことは一旦横においておこう。

ある程度社会の中に「◯◯コミュニケーター」みたいな人が必要な気がしているんだ。良い例えが思いつかないな。例えば「エビデンスに基づく政策」について言えば、エビデンスを生み出す専門家と、エビデンスを使う政治みたいなポジションがある。という設定だとして、エビデンスがなんの意味を持っているのかという専門家側の言葉と、どんな社会を作りたいのかという政治側の言葉を、双方向から橋渡しする人が抜けている気がするんだ。で、それを市民に伝えるというのも必要だし。

でね。ここからが本題なのだけれど。

◯◯コミュニケーターは、ひとつのジャンルだけでも「ある程度の人数が必要」なんじゃないかと思ったんだ。

AさんとBさん、二人のコミュニケーターがいる。で、同じジャンルだからこの2人は相互に理解ができる。という状態だとする。Aさんの語る言葉は、C群にはよく響くがD群には全く理解してもらえない。しかしBさんの言葉はD群にめちゃくちゃ響く。ということがあるのだろうと思う。それぞれに違った背景があるし、思考方法も異なる。語り手のことを好きかどうかも関係してくるだろう。

だから、複数のコミュニケーターが必要。

たべものラジオ、ラジオただ今発酵中、Knowフードラジオなんかは並列で補完関係。同じ事象を、別々の人が違った視点で異なる言葉で語る。

さて、ぼくの課題意識はこの先にある。

コミュニケーターは育成が可能なのか。

仮に育成が可能だとしたら、どうするか。今までの社会であれば、学校を作るとか教科書を作るとか、セミナーや資格を整備するとか、そんな話になるのだろうか。これってリスクがあって、専門学校なんかを作って中卒や高卒の子どもたちが入学すると、みんな似たような「正解」らしきものに寄っていく可能性がある。そうすると、前述のように伝わる群には伝わるけれど、伝わらない群には何も伝えられないということが構造的に発生してしまう。これでは複数人存在する意味がなくなってしまう。下手をするとマーケットの取り合いになりかねない。

伝わるというのは、技術も大切だけれどそれだけじゃないと思うんだ。話し手のそれまでの経験や日頃の考え方が大切。たぶん、勝手ににじみ出てしまうのだろうとけど、それが伝わるかどうかに影響しているのではないかと思うのだ。

今日も読んでいただきありがとうございます。実は、食業界でやりたいことがあってさ。アカデミックに研究する人と、それを活用する産業と、間をつなぐコミュニケーターが、常時接続している仕組みを作りたいんだ。とにかく頻繁に接点があること。誰もが学び合うことはもちろん大事なのだけど、それと同時に「よく顔を合わせる」とか「互いによく知っている」という関係性も大切なんだ。さて、どうやって作ろうか。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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