常々思っているのだけれど、日本料理の特徴のひとつに、なんでも自己流で再解釈してしまうというのがある。自然信仰があって、自然を尊び調和を目指すという世界観が根付いているから、他の世界観を持った地域からもたらされた知見も食材も食材も料理も、みんなこの思想で再解釈される。そんなふうに見える。言ってみれば誤読そのものである。
食材の種類や、文化の多様性やその歴史の長さは中華文明にかなわない。何でも食べるという意味でも、圧倒的に日本は劣勢だ。まぁ、こんなもの競うようなものでもないのだが。言いたいのは、日本の特徴はそこではないのだ。海外、特に西洋からみると日本料理はとんでもないものを食材にしているように見えるらしい。
うなぎの蒲焼は、実はなかなか受け入れられないという人達もいる。日本人でも苦手な人がいるけれど、それは見た目が苦手だったり小骨が多いからだったりといった食材に起因する理由が多い。欧州からいらしたお客様の中でうなぎの蒲焼が苦手だという人は、その甘さが原因であることが多い。日本から見れば、甘いものが多い印象を抱くヨーロッパの料理だが、甘いのはデザートや菓子である。料理の味付けはしょっぱかったり、酸っぱかったりするのがメイン。だから、魚が甘いのは気持ち悪いっていう感覚なのだそうだ。同じ理由で、あんこが嫌いという人もいる。どの程度の人数がいるのかは知らないが、来店された方々の傾向である。
ある企業が、スイスからの視察団を受け入れた。その人数は40人ほどである。ホストである日本人は、何が何でも静岡名産のうなぎの蒲焼を食べさせたい。なにより、幹事がうなぎ好きだった。うなぎ以外のものにしたほうが良いと何度も進言したのだけれど、どうしてもうなぎの蒲焼が良かったらしい。結果として、8割近い方がうなぎを食べ残した。甘いタレがついたご飯もお気に召さなかったようだ。
日本に興味がある人たちならば、こんなことにはならなかったのだろう。ただ、彼らは日本に興味があったのではなく工場に興味があって、その所在地がたまたま日本だっただけである。当然の結果といえばそうだろう。
もっと、国外の食文化に目を開いたほうが良い。と思うのは、双方ともにである。外国からいらした方々も、日本の文化を真っ向から否定するのではなく直視すること。世界はとても広く、それぞれの地域に根付いた食文化がある。好き嫌いがあるのは仕方がないかもしれないが、悪態をつくのはいただけない。同じように、お客様を迎え入れるほうも、自分たちとは違う文脈で成り立ってきた食文化を理解しようとする姿勢が欲しい。
こうした経験があるせいか、日本料理を日本にある形のまま海外に出していくことを良しとしていない。いや、言い過ぎた。それはそれで良いのだけれど、日本でしか手に入らないものを空輸で現地に送り、日本の気候で味付けされたものを地球の反対側で食べるのは、日本料理の世界観にそぐわないと思うのだ。自然を尊び調和するという思想は、現地の自然と結ばれるものだろう。なにしろ、食べるのは現地の環境で生活している人なのだから。
だからといって、例えば日本料理をフランス料理のようなスタイルに改変するのも違う。それは、日本料理を取り入れたフランス料理だ。料理とはつまり、食材や調理方法を通して体現される哲学。世界をどのように捉えているかが現れてしまうものなのだ。現そうと思わなくても現れてしまうもの。
世界のことを何も知らない日本料理の料理人がいたとする。その人を、どこか遠い異国へと連れて行って、なんでも良いから料理を作ってもらう。醤油も味噌も酒もみりんもない。日本で見慣れた食材なんてほとんどない。なんとかして、食べられる料理を作るしかない。で、出来上がったものはきっと日本料理なのだと思う。日本の伝統から紡ぎ出された世界観が反映されているから、例え見た目も食材も調味料も、その全てが日本的ではなくても、出来上がった料理はきっと日本らしいものになってしまう。
文化っていうのは、個性ってこと。で、個性っていうのは、出そうと思って出すもんじゃない。抑えていても出てしまうもの。前にも書いたけれど、そういうものだと思う。ぼくが海外で日本料理を展開するとしたら、持ち込むのは世界観と技。そういう店をやりたい。
今日も読んでくれてありがとうございます。個性を出そう出そうとすると、技らしくなっちゃうんだよね。癖のある歌い方をしてみたり、独特の色使いを気にかけてみたり。作為的なデザインって、けっこう気付かれやすいし、わざとらしさは目についてしまう。って気がするんだよね。