「移り変わる文化」と「累積する文化」 2023年10月17日

歴史には「移り変わる文化」と「累積する文化」がある。と言われる。なんとなくわかる気がする。昨日も少しだけ通信の変革について触れたんだけど、世の中の通信は大きく変わったよね。それとともに、ぼくらの「当たり前」や「日常」も大きく変わった。

ぼくが過ごした幼少期は、FAXなんかなかったわけだ。まだ黒電話の時代。っていうと、古い人間みたいだな。まぁ半世紀近くも前のことなんだから、そういうことか。郵便を使わなくても、視覚情報を瞬時に届けることが出来るというのは、画期的だった。

あらゆる言葉を駆使して道案内をしなくても地図を送るだけで良い。ビジネスでも聞き間違いなどのトラブルから開放されることになった。費やされる時間も短くなった。そういう意味では、郵便、FAX、eメールは同軸上の発達なのだろう。

同じ軸の上で様々なコミュニケーションが進歩していくと、それぞれが別の役割を持つようになる。もはやメールではなく、チャットツールなどが主流になったけれど、それでもやはり「紙の郵便物」はなくならない。かつてとは違った役割を付与されているからだろう。なかでも、「手書きの手紙」は、ただの情報伝達ではなく「情緒」や「感情」を一緒に届けるという意味が持たされているように感じる。

ほんの数行の物語だけれど、「移り変わる文化」はいとも簡単に見ることが出来る。もっと長い時間軸で見渡せば、変化の幅はもっと大きいだろう。

ご飯を食べる時に「ご飯に箸を突き立てる」という人はいない。マナー違反だとか、縁起が悪いだとか言われて、タブーになっている。中世日本では「ご飯に箸を突き立てる」ことが、礼儀にかなっていて正式なことだったということは、ほとんどの人が知らない。というくらいには、文化が「移り変わった」んだよね。

接待の場で「ご飯に箸を付きたて」て、お客様を「貴様」と呼ぶことはしない。それらが、「昔はそれが正しかった」としても、だからといって「今も正しいとされる」わけではないからだ。当たり前だけどさ。当たり前なことに、「移り変わり」をちゃんと感じ取る意識を持つって大切なことなんだと思うのよ。

一方で累積する文化というのもある。今また和歌が流行しているらしいんだけど、日本という文化では1500年以上の長きに渡って「伝統」になっている文化。文字と音を伝えるという意味では、昨今のwebコミュニケーションに通じるところがある。文字情報で伝えるんだけど、読み手が音として認識することが大切。和歌は声に出して完成するというよね。いま、チャットを音読する人はいないけど、音読の感覚に近づけたいから口語体を取り入れようとしているんじゃないかと思うんだよ。

なんとなくだけどね。このエッセイでも、時々口語表現を使うのは、その効果を意識しているからね。ぼくの感覚では、そんな感じ。

ご飯茶碗はちゃんと持って食べなさい。と言われたことがある人がほとんどだと思うんだけど、日本以外の国では器を持ち上げるっていう文化はあんまり見られないんだよね。これも、1000年以上の伝統文化なんだろうな。

文化によって「移り変わる文化」と「累積する文化」のどちらが強めに発現するかっていう傾向はあるらしい。日本は後者だろう。古い物事が保存されやすい。言い換えると「過去に、良いものがあるのならば、わざわざ新調しない」のだ。

「変化した」という事実は忘れられやすい。どうも、これに関しては世界中で起きている現象のようだ。その時代において「伝統だとされていること」は、もう相当昔から普遍のことで「累積されたもの」だと思い込む。それがただの思いこみだったとしても、歴史は「創造」されるし「捏造」される。

「茶の湯は日本全体の文化の根幹」という明治政府による創造、ゴマは我が中国発祥という思い込み、海洋交易は大航海時代から始まったという盲信。もっと身近な事例でも、きっとたくさんある。伝統だと勝手に思い込んでしまっているものが、そこら中に潜んでいる。

それに気づくためには、自らの日常を相対化して客観視するのが一番手っ取り早い。海外と比べても良いのだけれど、もっと確実なのは自国の歴史を「異文化」として知ることだ。現代の日本の社会に最も似ているのは、アメリカでも中国でもなく過去の日本なのだ。似ているが圧倒的な違いがある「異文化」が過去の日本。現代社会を相対化するのに好都合だと思う。

今日も読んでくれてありがとうございます。直接的に参考になりそうな事例があると、つい飛び付きたくなるんだけどね。生活習慣とか細かなところも比較してみると面白いんだ。で、なぜこんなに違ってきたのかなって想像する。変わるものと変わらないもの。調べれば調べるほどに沼なんだけどさ。

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