布は手織りや手編みだと、少し緩みが出てしまうらしい。それは、どうしても糸のテンションが一定にならないから緩んでしまう。なのだけれど、実はその「緩み」が良い働きをすることがあるという。
布自体が緩みを持っているから、その布で作られた服もまた緩みがある。どんなにきっちりと採寸しても、基礎となるべき布がゆるいのだから偏りが発生する。偏りが出る。これが実に大切なことらしくてね。人間の体というのは、常に一定の形をしているわけじゃないし、そもそも動くんだ。動くというのだって、関節や筋肉である程度決められた動きをするのだけれど、人それぞれに癖がある。緩みがあると、その癖に合わせた偏りが生まれる。つまり、体にあった形に変形して、使っているうちにフィット感が増すのだそうだ。
これに対して、機械編みの場合は違うらしい。なにしろ、機会的にピッタリと均一に、きっちりとしたテンションで編み込むわけだ。とにかく早く、ズレがないように編んでいく。そのほうが経済合理性が高いから。素早く編むということを優先すると、自然とそのような結果になるらしい。だから、あまり伸びないし偏らない。
最近の伸びる生地とか繊維とはちょっと違う目線で面白い。きっちりしているのに、素材となる布に伸縮性をもたせる。これによって快適さを生み出しているのが、最近の伸びるスーツなどの流行なのだそうだ。
前述の「緩み」のある布は、それ自体が自在に伸び縮みするのではないけれど、偏りが発生することで体にフィットする。体や日常の動きにフィットしているから、動きを制約することがなくて快適だということなんだって。
快適さを求めているということに関しては、同じ。なのだけれど、そのアプローチが違うのが面白いよね。
でね。手編みが生み出す「緩み」みたいなものって、実はいろんな場面でメタファーとして使えるんじゃないかと思うんだ。使うというと、ちょっと意味が違うな。でもまあ、この考え方は他の事柄にも通じるような気がするんだよ。
試しに、無理やり料理に置き換えてみる。
料理のレシピっていうのは、ほとんどの書籍などで見られるようにかなり雑だ。化学を専門にしている人達からすると、もっと精緻な数字を書いてほしいと思うらしい。確かに「少々」とか「弱火」とか「ひと煮立ち」とか、なんとも感覚的だ。
この感覚的なところが、作り手の「癖」を反映するのじゃないかと思うんだ。塩を少々というとき、人によって様々なズレが生じるのだけど、案外同じ人にとっての「少々」は同じような量になる気がするんだよね。だから、毎回同じくらい。いろんな癖が偏りを生んで、結果として「その人らしい」味付けになるということがあるかも知れない。
だから、レシピの緩さっていうのは、個性を生み出すために必要なものなんじゃないかと思うのだ。
今日も読んでくれてありがとうございます。布の話は、服飾関係の知人から教えてもらったんだ。なんだか、いろんなことに通じているような気がして、忘れないようにメモしておいたのを、さっき見つけて書いてみた。この話を教えてもらったときも、何かのメタファーとして引用していたと思うんだけど、ちょっと忘れちゃった。