今日のエッセイ-たろう

あの時もっと勉強しておけばよかった。と思ったことない? 2022年10月30日

大人になると「あの時もっと勉強しておけばよかった」という話をしがち。なぜだろうね。英会話が必要なシーンになると、特にこういうセリフを聞くことがある。海外旅行とか。やってこなかったんだからしょうがない。ぼくだってそうだ。中学高校と6年間も英語学習をしてきたはずなのに、ほとんどの人は学校の勉強だけでは英語を喋れるようにはならない。

英語だけじゃないか。他にもいろいろとあるよね。もっと勉強しておけばよかったなって。ぼくも世界史と日本史が苦手だったから、観光旅行でお城とかお寺に行ったときには同じこと思ったもん。もっと歴史を勉強しておけばよかったなって。

だから、現役に対して「勉強は今のうちにしておいたほうがいい」という話をしがちだ。小学生でも中学生でも高校生でも。身近に子供がいれば、もっと勉強しておいたほうが良いよって話をする大人は多い。

なんだけど、大抵の場合は伝わらない。何を言っているんだ?とか、大人はみんなそう言うけれど勉強しても意味ないんじゃないかって思ってしまう。なぜだろう。人生経験豊富な大人が後悔しているのだ。後悔してほしくなくて、善意でアドバイスしているはず。なにも、意地悪で勉強させたいと思っているわけじゃないんだよね。にも関わらず、全くと言っていいほど伝わらない。これは一体どうしたことなのだろうか。

これ。いろんな年代の人を集めてワークショップをやってみたいんだよね。最終的には「なんで伝わらないのか」ってことを解き明かしたいんだけどさ。その前に、大人は大人で「なぜ、勉強しておけばよかったと思ったことがあるのか」について、ディスカッションをしてみたい。人によってシチュエーションも違うだろうし、その理由も違うと思うんだ。

あ、今思いついたんだけどね。「若い頃にちゃんと勉強していたら、今頃はわかるようになっているはずだ」という前提があるのかもね。「ちゃんと勉強してもわからないまま」っていう発想がないかも。これは盲点。でもまぁ、今よりはマシなはず。苦手意識があったとしても、もう少しは物理も詳しかったかもしれないし、高等数学も理解していたかもしれない。とは思うんだよね。

あと、中高大学生で集まって「今、勉強することの意味」についてディスカッションしてもらいたい。社会に出て役に立つだとか立たないだとか。ポジティブでもネガティブでも良いから、とにかく想像できるだけ想像してもらって深掘りしたい。大人になって三角関数なんて使うのかって疑問もあるだろうしさ。因数分解なんて出来なくても生きていけるっていう意見もあるだろう。別に歴史なんて知らなくてもいいし、日本で暮らしているだけなら日本語さえわかれば良いじゃんって言うかも。作家になるわけじゃないんだから、文章が上手にならなくてもいいだろうって。こういうネガティブな意見は実際に聞いたことがあるんだよね。

でね。大人が感じている感覚とその原因。出来れば、それを感じたときにどんな行動をしたのかってことをまとめておいてさ。でもって、子どもたちがまとめた内容とで、どんなズレがあるのかを検証してみたいんだよ。もちろん、前述のワークショップに参加してもらった人たちと一緒にね。で、相互にどんな「感覚の違い」があるのかを確認しあってみる。お互いの感覚の違いをわかったところで、いったいなにが生まれるのかな。どうして伝わらないのかがわかるのかな。

そもそも「あの時もっと勉強しておけばよかった」という感覚は幻想だってことになるかもしれないよ。伝わらないだけだと思っていたんだけど、幻想だったんだ。じゃあ、伝わるもなにもないよねって。これ、やってみようかな。どのくらい集まってもらえるかわからないけれど、単純に面白いと思うんだよね。ただの自由研究にしかならないとは思うんだけどさ。もしかしたら、参加者の一部の人は何かを勝手に学び取っちゃうかもしれないし。

今のところ、勉強をしておけばよかったと思ったこともあるし、今のままで良かったと思ったこともある。もっと勉強しておいたら、いろんなことを知識として知っているかもしれない。だけど、その「勉強」のために「学ぶ」時間が削られたかもしれないじゃん。経験には年齢制限のあるものだってあるんだ。限られた時間の中でどの「経験」を選び取るかは自由だし、運だもん。たまたまぼくは勉強に傾倒しなかっただけ。とりあえず平均以上ってところかな。最低限はやったから、おかげで「学び方」の感覚は掴めたのが大きいよね。ほら、ググるにしても検索キーワードがわからなかったらどうしようもない時ってあるでしょう。そういうのが感覚的に掴めるのは、そこそこは勉強したからだと思うんだようね。なにより、今勉強できるのはそのおかげでもある。一方で、歴史も科学もホドホドだったからこそ、今学ぶ余白が残されているんだとも言える。

「学びたりなかった」という「経験」があるから、現在「学ぶ」ことが楽しいと感じているのかもしれないなあ。どうなんだろう。永久に終わる気がしないんだけど。勉強すればするほど新しいことに興味が湧いてきて、このままだとずっと勉強していなくちゃいけないようなきがするよ。それが楽しければ構わないのだけどね。

今日も読んでくれてありがとうございます。そうそう、学びってさ。役に立つかどうかはあんまり考えなくてもいいと思うんだ。何の役に立つかは、その時が来ればわかるから。結果が確定してから原因が決まる。確立的存在だっけ?あんな感じ。役に立たないけど楽しい。ちょっとだけ普段の暮らしに面白さが追加される。そのくらいの感覚だと思っている。

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武藤 太郎

1988年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

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