今日のエッセイ-たろう

アメリカに留学した頃の話。2023年2月6日

20年以上も前の話。今思うと、とんでもないことをしていた、ということがある。なんで、そんなことをしようと思いついたのかが謎。いや、自分なりに論理的に考えて、それが最善だと思うから実行したのだ。けれども、今思うと他にもっと良い方法があったのではないか、と思うことはいくらも思いつくのだ。

高校を卒業して、アメリカへ留学した。というと、ほとんどの留学生は高校時代からそれなりに英語の勉強をしていて、渡米後は大学へ入学するのだ。しかし、僕の場合は様子が違う。

まず、英語という科目は苦手分野。高校生だったぼくは、「日本人なんだし日本語が出来ればいいじゃないか。英語なんかいらない」とホンキで思っていた。ほんとに口にしたことがあって、現代国語の先生に「じゃあ、もうちょっとまともに国語の勉強した方がいい」と言われてしまったのだけど。まぁ、とにかく英語を覚えるのが嫌いだったし、どうせ学校の授業やテストで点を取ったところで喋れるようになるわけじゃないだろうから、やるだけ無駄と思っていた。

ところが、だ。急にアメリカに行ってみたくなった。ストレートに大学に入学するかはさておき、とにかく日本以外のところで生活をしてみたくなってしまったのだ。大学で何を専攻するかは、渡米した後に考えればいいし、なんなら英語の勉強だって行ってからでも遅くないと思っていた。今思うと、無鉄砲にもホドがある。

だいたい、大学進学というものに興味がなかった。大学に行ってまで学んだり研究したいと思うことなんて思いつかなかった。今ならいっぱいあるんだけどなあ。当時、学校や学生という枠の外の生活を体感したくてしょうがなかった。外の社会で働いてみたい。というのは、お金が欲しいというよりも、見知らぬ世界で生活してみたいという衝動が強かった。

一応地域の進学校ではあった母校では、就職という言葉は言い出しにくかった。というか、就職すらも考えていなかった。平たく言えば冒険したいという衝動だったのだろう。そのままいけば、喜んでフリーターを選択していただろう。公言できるような空気ではなかったが。仕方がないので、進路希望を記入するように渡された用紙には「第1希望、静岡大学。第2希望、静岡県立大学。第3希望、東京大学」と書いて提出した。もちろん、即日呼び出しである。そりゃそうだろうな。

親しくしてくれていた先生から、ふとこんなことを言われた。「武藤は、海外の学校なんかが似合うかもしれないな」。今思うと「似合う」ってどういうことなのだろうと面白い。後になって先生に聞いてみると、「武藤は型にハマるのを嫌うから」って言っていた。確かにそうだったかもしれない。天邪鬼というか、常に逆張りを考えるような傾向が強かった。まぁ、それは今でも変わらないか。なんにせよ、面白半分と学びの道を示唆してくれた先生の一言に渡米を即決したのであった。

そんなわけで、古文や現代国語や日本史など、主にアメリカの大学で使うことのなさそうな教科の授業中は英語の勉強をすることにした。いや、能動的ではなかった。どこでどう聞いたのか、それぞれの教科担当の先生たちがぼくの英語力の低さを心配して、「とにかく英語の問題集をやれ」「単語を覚えろ」と言ってくれたのだ。クラスの皆が古文の過去問題を解いている時間、古文の先生はぼくの机の横で「スペルが違う」「文型がおかしい」などと、丁寧に英語の指導をしてくれた。今思うととても贅沢だ。

そんな先生たちのおかげもあって、アメリカに渡ったときには英語がある程度は出来るようになっていたかというと、そうでもない。びっくりするほどに会話が成立しない。初めて降り立ったロスアンゼルス国際空港では、ほとんどの言葉が聞き取れずに唖然としたものだ。速いし単語がわからない。よく、自力で大学までたどり着いたものだと思う。

そんな状態であっても、2ヶ月も経った頃にはある程度の会話くらいはなんとかなるものだ。聞き間違いはあっても、なんとなく言いたいことは聞き取れるようになったし、でたらめな文法であっても話が通じるものだ。とはいえ、そんな英語で大学の授業についていけるわけもないし、そもそも入学することも難しい。だから、大学付属の英語スクールに通う毎日だった。

半年が過ぎた頃になって、ようやく大学の講義がギリギリ聞ける程度にはなった。なったのだけれど、聞き取るだけで精一杯。とにかく知らない単語が多すぎて、その都度辞書を引くのに忙しい。せめて、単語を抽出して聞き取れるようになっていたことだけが救いのようなものだ。

そんなだから、話すのがとても遅い。友だちと話をしていても、会話のスピードについていけないのだ。実は、授業よりも日常会話のほうが大変。特に学生の頃は、他愛もないどうでも良い話が多いし、展開が早い。日本語だったら、テンポよくふざけて、ボケて突っ込んで、という流れの中で、必死に真面目に理解しようとしている感じ。理解できて笑っても、いつも笑ってばかりじゃつまらない。

とにかく、会話のスピードをあげなくちゃダメだ。と、思ったのだ。会話のキャッチボールを、心地よいテンポで行える程度の反射速度が必要だ。では、どうしたら良いのか。どうしたら良いと思う?

今日も読んでくれてありがとうございます。この回答って、何があるのかな。ちゃんと調べたり勉強したりすれば、効率の良い方法があるのだろうけれど、今でも知らないんだよね。

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武藤 太郎

1988年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

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