かつて、日本は300ほどの藩に別れていた。68の国があって、その中に小さな藩がいくつもあったのだという。平均すると各県に7藩くらいだろうか。興味深いことに、未だにそれを引きずっている意識があるらしい。
掛川市は平成の大合併で2つの町と1つの市がまとまった。それは、江戸時代の藩が合併したことと似ているのかもしれない。既に合併してから20年である。未だに旧掛川市へ行くことを「掛川へ行く」と表現するし、他の場合も同様だ。その意識は、行政や催事などでもいかんなく発揮されている。もしかしたら、ほんとうの意味で統合することは難しいのではないかと思ってしまうほどだ。
町おこしや観光事業を行う際、現行の行政区分ではなくもっと小さな単位で取り組むことが有る。それはそれで構わない。むしろ、スモールスケールのほうが良い場合もある。しかし、あまりにも他地域とのライバル意識を強くしすぎると、せっかくあるリソースをうまく活用できなくなってしまうのも事実だ。
同じ掛川の仲間じゃないか。そういう意識があれば、他の地域の人も企業も応援してくれるかもしれない。エリアが違うというだけで、結果的に応援してくれるかもしれない人たちを排除してしまいかねないのだ。バランスが難しい。
駅周辺や中心市街地ばかりが優遇されている。こういった不満は地方都市ではよく聞かれる。あそこばかりに予算をかけていて、うちには回さないなんてズルい。しかし、旧市町で3等分するわけにも行かない。人口比率が違いすぎるのだ。ドライに言い換えると、税金を収めている額に地域差が有るということだ。中心市街地の人達からすると、その分恩恵があって然るべきと考えることもあろうというものだ。
この考え方は、実に危険だ。そもそも、政治とは分配するために存在するものだからである。現在行政が行っていることを小さな集団や個人が代わりに行うことは難しい。それに、ある程度の地域格差が発生するのはどうしようもないのだ。立地は地形や歴史にも依存するから、そう簡単に変えることは出来ない。もし、膨大な資金を投下して大幅に流れを変えれば、既存の良き部分まで含めて淘汰されることになりかねない。
だから、みんながお金を出し合って仕事を肩代わりしてくれる組織を生み出したのだ。この考え方自体は社会契約説に沿ったものだと思う。そして、近代以降の社会は社会契約説を土台に構築されている。良し悪しというよりも、実際にそうやって作ってきたらしい。
上記で言うところの地域格差は、主に金銭の話である。郊外にも里山にもそれぞれに魅力的な価値があって、中心市街地に済んでいる人たちもその恩恵にあずかっているはずだ。それが直接的なものではなかったとしてもだ。価値があるからこそ、分配の概念が必要になる。
ヒト・モノ・カネ、それ以外にも自然環境や諸々のリソースが有る。一定以上の規模を持っていたほうが分配できるリソースの母数は大きくなる。というロジックだ。ただ、これには最低限の条件があると提唱していた人達がいる。集団の中の他の人達の気持ちに寄り添うことが出来ること。これを行ったら嫌な思いをする人はいないだろうか。いるとしたら、互いの気持ちに寄り添って事業を考え直すことが出来るだろうか。国富論を著したアダム・スミスがこの論で有名だが、ジャン・ジャック・ルソーはこれが可能な集団規模は2万人程度だろうと指摘している。
郊外地域が「町中ばっかりズルい」と感じるのは、もしかしたら分配に不安があるからではないだろうか。信用がないとも言えるのかもしれない。里山の整備や防潮堤の建設などに巨額の費用が充てられた時、町中の人たちの中には不公平感を顕にする人もいる。この問題は根が深い。
今日も読んでくれてありがとうございます。まちづくりの事業でイベントを開催することがあるのだけれど、ホントは経済合理性やどれだけ人が集まったかだけにフォーカスするんじゃなくて、どれだけ心が通いあったかというのを指標にする必要もあるんだろうな。人類が定住を始めた途端に世界中で「祭り」が生まれたという話を聞いたことがあるのだけど、それはコミュニティに地を通わせるためのしかけなのかもしれないよ。