デザインとアートと料理の姿 2022年7月7日

商用デザインの話で、テレビの登場が大きな影響を与えたということを聞いたことがある。聞いたことがなくても、そりゃそうだろうなとは思うよね。直感的に。

たべものRadioの番外編でも少しだけ触れたことがある。バースデーケーキの変遷。ライブ配信だったかな。調子乗ってかなりの長尺だったからなあ。バースデーケーキの部分は記憶に残らないかもしれない。バースデーケーキのろうそくは、アメリカで大きく意味と姿を変えたんだ。

普通、誕生日のろうそくってカラフルじゃない。当たり前だと思っているけど、当たり前じゃないからね。ろうそくの「当たり前の色」は白。でしょ?カラフルになったのは、テレビでコマーシャルを放送するようになったから。その方が「映える」もんね。同じ目的でケーキも派手になった。今、目にするショートニングケーキはデコレーションが華やかだ。けれども、もともとはツルッとした表情をしている。いちごだって無い。当たり前だ。ショートニングを塗ったケーキだからショートニングケーキ。名前にいちごの要素はまったくないのだから。

もともと、バースデーケーキはあんな形じゃない。ロールケーキが主流だったらしい。神話に由来するので、そういうことになったということなんだけど。まぁ、本編を聴いてもらったほうが良いかな。あまり掘り下げてはいないけど。とにかく、現代よりもずっと地味だったって話ね。

さて、ここからが今日の本題。テレビの登場によってデザインは大きく変わったのだ。この変化が、ポジティブな面もあればネガティブな面もあるんじゃないかと思うんだよね。例によって、なんの結論もないままに書き始めちゃったけど。どうなんだろうね。

形状は機能に従うだったっけ?そういう時代があったよね。アートとは別の流れとしてデザインが独立した頃の話だったと思う。品物自体の機能があって、その機能を損なわず、むしろその品物だから生み出すことができる美しさがあるという感覚なのなか。今風に言うとミニマルデザインということになるのかもしれない。うわぁ、情報が足りない。

なんとなく、直感で進めるか。包丁みたいなものは、優れた美しさがある。だからこそ、近年になって和包丁をお土産に買っていく外国人も増えたし、コレクターもいるわけだよね。スッキリとシンプル。機能を追求した形。包丁の鋼部分が龍の形をしていたら使いづらそうだしね。美しいからと言って富士山の形になっていたら邪魔でしょうがない。そもそも美しくはないか。

包丁は、撮影の仕方によってテレビでも映えるのだろうか。そんな気がする。光沢があるし。ああ、光沢か。写真とか映像って光沢があるかないかで見え方が違うよね。それはあるかも。スーツなんかも高級なものほど光沢があるって言うしね。それはちょっと話が違うか。

そうそう。料理の写真を撮る時には、本当に食べられる料理を作らないことがあるんだよ。これは伝統的な日本料理だからということもあるのかもしれない。日本料理の色彩は、日本カラーなの。当たり前か。全体的に淡くて、グラデーションが豊かで、少し渋い色。ビビットな赤よりも、紅を好む感じ。派手な緑よりも、淡色が良い。こういう色合いが、写真映えという文脈では不利になることがあるから。

日本のものを中心に作った写真集みたいなものなら、元の色合いの美しさをそのまま表現できたらそれでいい。冊子の場合は、そうすることが多いよね。気の利いた出版社だったら、文字の欄も余白部分も被写体の淡い色合いを活かすように調節してくれているんだ。困るのは、いろんな飲食店の料理が立ち並ぶ場合だ。フレンチも中華もけっこう彩度の高い色を好む傾向にある。とにかくカラフル。そのトーンの中に和食が紛れるとすごく地味になるんだよね。フォトショップで加工するにも限界があるしさ。

気にしなければいいの。水彩画と油絵と水墨画みたいな違いなんだから。ただ、そうは言っても見る人によっては、しょぼく見えてしまうかもしれないじゃない。

そういうわけで、料理の写真を撮る専門の写真家は色合いをより引き立てるための工夫をしている。そして、写真を掲載することに慣れた日本料理店は、普段の料理よりも派手なものを用意する。野菜は生のほうが色がキレイに映りやすいんだよね。煮物なのに、よく見ると非加熱だったりすることもあるんだから。

うち?そういうのしない。めんどくさい。ホントめんどう。いつも通り。

お客様が料理の写真を撮ることがあるよね。それも最近は特に増えてるんだけど。で、うまく撮れないなあ。直接見るときれいなのに、写真にするとぼんやりするんだ。っていうのよ。そういうものだからね。インスタグラムの写真は、色彩のはっきりしたものが多いの。蛍光灯で映えるような色。それに対して、和食は炎の光に映える色なんだもの。しょうがないじゃない。

直接見るのと写真とで、どちらかが映えるのだったら、それは前者を取りますって。だって、食べるのが本質であって、写真に移すのはオマケだから。

今日も読んでくれてありがとうございます。口コミで広がるためには写真映えって大事なんだよ。間違いない。それはわかっているんだ。経営者としては、そこも考えるんだけどね。一方で、クリエイターとしてはイマイチ踏み込めないんだ。悩ましいところよね。

記事をシェア
ご感想お待ちしております!

ほかの記事

エンバクについて、ちょっと調べたり考えたりしてみた。 2023年5月29日

エンバクというのは不思議な植物だ。人類が農耕を始めた頃は、まだただの雑草だったらしい。まぁ、人間が利用している食用植物は、ほとんど雑草だったのだけれど。エンバクが面白いのは、大麦や小麦の栽培が始まった後の時代でも、ずっと雑草。つまり、麦畑では邪魔者だったわけだ。...

食産業の未来を考える。たべものラジオ的思考。2023年5月27日

もしかしたら以前どこかで話したかもしれないのだけれど、現代の食産業は、産業革命期のアーツアンドクラフツ運動の時期に似ているののじゃないかと思っている。簡単に言うと、産業が近代化した時にあらゆる物が工場で機械的に生産されるようになった。安価でデザインを置いてきぼりにした家具などが大量に出回るようにな...

「ホウレンソウ」で時間をかけるのは相談。 2023年5月26日

「報告、連絡、相談」。通称「ホウレンソウ」は、社会人になると一番最初に言われることだろう。もっと前の学生時代から言われているかも知れない。たしか、ぼくが企業に就職したときもしつこく言われた記憶がある。で、少し思い出したのだけれど、けっこう無駄も多かったという気もしている。...

「食事」という人類の営みの歴史から見る「作法」と「矜持」 2023年5月25日

時々目にすることがあるのだけれど、飲食店によって独自のルールを決めているという記事や書き込みがある。同じく飲食店を経営している身であるから、気持ちは分からなくもない。けれども、独自ルールが特徴的であるということが記事になるような場合、少々やり過ぎではないかと思うケースが多いように見える。...

食べ物と産業と歴史。これからの未来のために。 2023年5月24日

たべものラジオは、食のルーツを辿る旅のような番組だと思っている。その特性として、歴史という意味ではとても長い時間軸でひとつの事象を眺めることになる。ひとつの時代を切り出すのではなくて、紀元前から現代までの長い時間を、ひとつの視点からずっと追っていく。そういう見方だ。だから、ひとつのシリーズがとにか...

話し合いの作法と情報共有。 2023年5月23日

話し合いという場で、どうしても会話が噛み合わないことがある。それは、それぞれの人が大切にしているポイントが違ったり、思想が違ったり、解釈が違ったりするからで、ある意味仕方のないことだ。むしろ、そうした人たちとの対話は望ましいとすら思う。ただ、上記のこと以外で会話が進まないことがあることに気がついた...