レシピに求められるもの。 2024年6月3日

企業の財務諸表の中に、バランスシート(貸借対照表)がある。左側に資産があって、右側に負債があって、そのバランスを見るためのフォーマット。このフォーマットの特徴の一つは、「ある時点の」という前提がつくということだ。昨年のことと今年のことは、別のシートで表現される。料理の専門家が書いたレシピ本は、「ある時点の」レシピであることが多い。

これこそが完成形だと考えて、その先もずっと変更をしないという人もいるかも知れない。けれど、レシピ本を出版するような料理人や料理研究家は、常に料理を作り続けていて、それは実験を繰り返しているようなもの。あのときはベストだと思ったけれど、もっと良いものが出来たぞ。などと、ニンマリと悦に浸っているかどうかはしならないが、そういう喜びを感じる人達なのだ。つまり、レシピは未完である。

ぼくの手元にも過去に作った料理のレシピメモがあるし、父も同様だ。で、そのメモは中途半端なものが多い。どんどん更新されているから、もうメモを取るのをやめてしまっているのだけれど、その中途半端なメモでも良いのだ。前回書いた通り、参考にするだけだから。今は今に即した料理をするだけのことである。だから、自分が記録したものであってもレシピにこだわって縛られるのはナンセンスだと思っている。

ちなみに、レシピメモにある「分量」はけっこういい加減なものだ。普段感覚でやっている味付けを数値化してみたら、13cc〜16ccくらいの幅があったとする。面倒だからだいたいこんなもんだなってことで「大さじ1」と書いてしまうわけ。そんなに大きく変わらないから、まぁいっか。ということになる。あとは、味見してバランスを取ればいいんだ。とあるレシピ本にははっきり書いてあった。「これは便利帳。プロの人たちならわかると思うが、自分で決めて欲しい」

なんで、こんなに曖昧なのか。言い換えると余白が多いのか、だ。余白があったほうが、勝手にクリエイティブにならざるを得ないというのが、良いことなんじゃないかと思っている。〇〇さんのレシピのお陰で美味しく出来た。というよりも、◯◯さんのレシピを参考に作った「私の」料理が美味しい、という感じで楽しめたら良いのじゃないかな。完全再現も楽しいかもしれないけれど、それって自分のものにならないような気がするんだ。

余白があることで、独自の工夫が生まれて、その先にはもっといろんな新しいレシピが生まれてくる。17世紀にフランシス・ベーコンという人が、知識を集約し共有して発展させよう、というようなことを言った。王立協会みたいな組織があちこちで登場して、ニュートンの「巨人の方に乗る」という有名な話に繋がっている。まさに、レシピ本というのは知識の共有。そう考えたほうが、未来は明るくて愉快なものになるんじゃないかな。どうだろうか。

料理の専門家が持っている知識で、あまり一般にまとめられていない情報がある。それは失敗事例だ。歴史上の出来事から学ぶとき、こんな事が言われる。成功事例にはあまり再現性がないけれど、失敗事例は再現性が高い。失敗事例で最も多いのは、先人たちの事例を学ばない者が行ったことだ、という皮肉なジョークを言う人もいるくらい。料理人は、自らの経験だったり師匠や先輩からの指導や話を聞くことで多くの失敗事例を知っている。「わかるわかる。でも、それやるとこうなっちゃうんだよな。」みたいな定番の失敗例は存在しているのだ。じゃあ、どんな例

があるんですかって言われると、困ったことにあまり思いつかない。こういうのを体が覚えているというのかな。実際に調理しているときには、自然に意識出来ているのだろう。

失敗事例というか、こうすると不味くなるんだ、というようなものを体系的に学べる集合知はあったほうが良いだろう。あとは料理というものに対する思想や哲学みたいなものがセットになると良さそうだ。思考法だね。曹洞宗の典座教訓がこれに該当するけど、もっと現代に合わせたものが欲しいよね。

今日も読んでいただきありがとうございます。成功事例に拘泥することなく、自由に料理ができるようになるかもね。名もなき料理がたくさん生まれるかもしれない。大きな失敗さえ回避されたら良いのだから。これって、ビジネスでも人生でも同じことが言えるのかな。

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