会席料理には「革新的」とか「創作」という形容詞が似合わないわけ。 2023年8月11日

たべものラジオでも「今、私達が伝統だと思っているものは、実はそうではないこともある」という話をしている。もう少し正確に言えば、伝統的という言葉が持っている「変わらない」とか「守るべきもの」というイメージは、誤解だということがよくあるということだ。

少し前に、ミュージカルやアニメを取り入れた歌舞伎がニュースになったことがあった。伝統の破壊という人もいたし、革命的だという人もいた。けれども、歌舞伎というものの来歴を知っていれば、そのどちらの論も見当違いだということがわかる。

そもそも、歌舞伎という存在は革命的変化を起こし続けることが本質なのだという。これは、ぼくが勝手に解釈したのではなくて、歌舞伎役者がどこかのインタビューで話していたことだ。なるほど、その歴史を遡ればそのとおりである。

対比として能楽を例に上げると、能楽は室町時代に世阿弥によって完成されたときから、将軍家のものになった。ちょっと不正確な物言いだけれど、権力者などの特定の人達によって楽しまれる芸になった、ということだ。これに対して、歌舞伎は民衆の楽しみのために存在し続けた。出雲阿国に始まった歌舞伎踊りは、若衆歌舞伎となり、さらには野郎歌舞伎となったわけだ。幕府側の規制をかいくぐりながら、常に「民衆を楽しませる」ことを目的に変化し続けた。

浮世の憂さ晴らしであったから、歌舞伎座は浮世離れした場所でなければならない。いわば、夢の世界なのだ。だから、ど派手な衣装や化粧になり、演出もきらびやかなものになった。有名な勧進帳で演じられる源義経は、あれほど幽玄できらびやかな衣装を纏っているのは、リアリティを求めればありえない話だろう。すぐに見破られてしまう。そういう演出なのだ。

良きものがあれば、他の芸能からも貪欲に取り入れた。歌舞伎と能楽の演目が似通っているのは、能楽から取り入れたものが多いからだし、歌舞伎の台本を近松門左衛門に書かせた時期があったのは有名な話かもしれない。近松門左衛門といえば、文楽、人形浄瑠璃である。文楽で演じられる演目も、その演出も歌舞伎の中に取り入れられてきた。

こうした文脈の中で、ミュージカルやアニメが歌舞伎に取り入れられることは自然な流れということになる。

実に、料理というものの本質も同じではないかと思うのだ。会席料理は、現代では高級で伝統的なものだと認識されていることが多い。確かにそのような側面は見られるのかも知れないけれど、そうした概念が取り入れられたのは最近のこと。元をたどれば、そんなに堅苦しいものではないのだ。そもそも、歴史上、形式張った料理とされる日本料理のスタイルは、酒のつまみの集合でしかない。その中でも、特に新しいスタイルである会席料理は最も自由で、それを楽しんできたのは民衆なのだ。民衆が酒宴を楽しむために存在してきたのが会席料理だとしたら、歌舞伎と同じではないか。

会食という、一種の浮世離れした空間。だからこそ、部屋の設えをアレンジするし、玄関までの小道や庭すらも舞台装置として整える。そういう発想になる。

料理だって、お客様が喜んでくれることであればどんどん取り入れる。それが、中国料理だろうがフランス料理だろうがお構いなしだ。一見、味とは無関係に見える飾り切りの造形美は、おそらく歌舞伎が花道や見栄などの技法を編み出してきたことと同じ理由によるものじゃないかと思う。エンターテイメントの思考回路だろう。一定の型はあるにしても、基本的には「なんでもあり」なのだ。

西洋との比較すると、食や芸能が比較的早く民主化したのが日本かもしれない。それは、1600年以降、長きに渡って争いのない世の中になったことが大きな理由かもしれないし、神的な存在との関わり方の違いが理由かもしれない。もう少し想像を働かせると、賣茶翁によって喫茶文化が民主化したことが影響したのかも知れない。

因果関係を紐解くには、まだまだ時間がかかりそうだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。日本文化はこうあるべし。というのは、たぶんないのだよ。明治になって登場した統一国家としての日本が、海外と渡り合うために作り出した幻想。というと言い過ぎかもしれないけどね。でも、近代以降になって日本文化というものが定型化されたり、消失したり、変容したりっていうことはたくさんあったのは事実。だから、日本の固有文化とからしさのようなものを探るときには、明治よりもずっと遡る必要があるってことなんだろうな。

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