余白をデザインするレシピ 2022年7月20日

ありとあらゆるパターンを試して、メチャクチャ詳細なレシピを作成する。こんなことを実際にやった人は数少ない。それだけで、業界でニュースになるくらいだ。書籍ならとんでもないボリュームになるよね。なってるけど。これを、データベースにしてアプリに落とし込むのも面白い。

ぼくも、そういうレシピ集があったら良いなと思ったことがある。それで、うちの店のレシピだけでも体系化しようとチャレンジしたことがあるんだ。まぁ、メチャクチャ大変だから断念地ちゃったけどさ。これって、料理に携わる人にとってはひとつの憧れもあるんだろうなあ。

一方で、ホントにそれって意味があるのかっていう疑問もつきまとうんだよね。否定するわけじゃなくて、いろいろ考えることがあるんだって話。

すでに何度か書いているけれど、個体差の考慮が抜けている感覚があるんだよ。現在一般に出回っているレシピ集は、かなり曖昧なんだ。弱火で何分とか、そんな感じ。調味料の配合は比較的細かく書いてあるけれど、それもちょっとルーズだったりする。

これって、個体差を考慮してこうなったのかな。決して同じにはならないっていうね。あくまでも、こういう方向性でやると、だいたいうまくいくことが多いよっていう指標としてのレシピ。あとは、現場で判断してね、である。

ステレオタイプで話をしてしまうと、洋の東西で思想の違いがあるようにも言われる。西洋文化圏の方が、比較的支配的だ。自然は支配するべきものという思想。だから、幾何学的な庭園を造形するんだってね。料理においても、いかに味を作り込むかって思想になる。

東洋の場合は、自然に寄り添う思想が強い。今目の前にあるものの素材をよくみて、それに見合ったようにこちら側が変化する。させるのではなく、自分が変わる。日本は特にその傾向が強くて、味がノッていない食材でも、ハシリとか言って、それが季節の表現ということにしてしまうのだ。誤解を恐れずに言うならば、最上の旨さではないけど、これもまた良いよねで済ます。済ませるというか、その状況を楽しむ。枯れ木も山の賑わいというような、葉桜もまた乙だというような感覚。素材中心主義なのだ。

日本発のアートスタイルで世界に発信されたモノ派は、まさにマテリアルに寄り添った思想。こういうのが、古い時代からずっと根付いていたからこその食文化であるかもしれない。

どっちが良いか悪いかという話をすると、ややこしくなる。ぼくらは日本人で日本文化圏にいるのだから、どうしても素材中心主義になりがちだもん。このバイアスを通してみれば、こっちのほうが良いに決まっている。そういう話じゃないんだよね。

ありとあらゆるパターンを試して、作り込んだ最強のレシピ。これは、あくまでも西洋的な「作り込む」文化の中での集大成ではある。ただ、寄り添う文化では適合しづらい。どんな状態であっても、人参は人参、サバはサバとして扱う。思った通りにならないのであれば、食材が悪いからだ。ならば、一定の品質の食材が提供されるように仕組みを作る。そういう循環を前提にしている。

なんだけど、フランスのワインは真逆の発想だし、日本の日本酒のほうが構築的なんだよなあ。どうなってんだろう。

どの時点で構築的に手を入れるのか。ということなんだろうか。自然には沿うけれど、その先の人が創造する部分では頑張る。という日本文化。自然自体にアプローチもしてしまうけれど、それでダメならそれに従うという発想のフランス。なのだろうか。これまた、ちょっとしっくりこないよなあ。前述した通り、ステレオタイプはステレオタイプだ。当てはまることばかりじゃないし、大抵の場合は間違っている。

寄り添う余白。そういうのを残しておいたほうが面白いとは思うんだよね。ただ、せっかく残しておいた余白を読み取れなくて困っている人もいるのも事実。有名な料理人のレシピ通りにやったのに、全然美味しくならないなんてことはよくある。当たり前だ。食材も違えば、調味料も機材も違うんだからね。個体差という範囲ではあるけれど、いろんなポイントで差異が出れば、結果は違ったものになる。だから、レシピには曖昧な表現を乗せざるをえないのかもしれないよ。

感覚とか余白をデザインする。という発想は、妙案なのではと思っている。掲載されている数値は、あくまでも参考値という程度。残された余白は、個人の創造性を発揮するためのアソビとして捉える。というのが良いのではないかと思うんだ。そこを突破口にして独自性が生まれて面白いんだろう。

けどね。これは、ちょっと時間がかかるんだよ。勘所をつかむまでに何度も失敗する必要がある。トレーニングが必要な領域なんだ。近くに詳しい人がいれば、勘所を伝えられるんだろうけどね。それが親子だったりしたのかもしれない。かつての台所ではってはなし。

今日も読んでくれてありがとうございます。勘所だけを伝える料理教室っていうのを企画したことがある。結局やらなかったけどね。なにせ、準備に時間が掛かるからさ。面白いとは思うんだけどなあ。いつかどこかでやってみたいけど、どうなるかな。

記事をシェア
ご感想お待ちしております!

ほかの記事

エンバクについて、ちょっと調べたり考えたりしてみた。 2023年5月29日

エンバクというのは不思議な植物だ。人類が農耕を始めた頃は、まだただの雑草だったらしい。まぁ、人間が利用している食用植物は、ほとんど雑草だったのだけれど。エンバクが面白いのは、大麦や小麦の栽培が始まった後の時代でも、ずっと雑草。つまり、麦畑では邪魔者だったわけだ。...

食産業の未来を考える。たべものラジオ的思考。2023年5月27日

もしかしたら以前どこかで話したかもしれないのだけれど、現代の食産業は、産業革命期のアーツアンドクラフツ運動の時期に似ているののじゃないかと思っている。簡単に言うと、産業が近代化した時にあらゆる物が工場で機械的に生産されるようになった。安価でデザインを置いてきぼりにした家具などが大量に出回るようにな...

「ホウレンソウ」で時間をかけるのは相談。 2023年5月26日

「報告、連絡、相談」。通称「ホウレンソウ」は、社会人になると一番最初に言われることだろう。もっと前の学生時代から言われているかも知れない。たしか、ぼくが企業に就職したときもしつこく言われた記憶がある。で、少し思い出したのだけれど、けっこう無駄も多かったという気もしている。...

「食事」という人類の営みの歴史から見る「作法」と「矜持」 2023年5月25日

時々目にすることがあるのだけれど、飲食店によって独自のルールを決めているという記事や書き込みがある。同じく飲食店を経営している身であるから、気持ちは分からなくもない。けれども、独自ルールが特徴的であるということが記事になるような場合、少々やり過ぎではないかと思うケースが多いように見える。...

食べ物と産業と歴史。これからの未来のために。 2023年5月24日

たべものラジオは、食のルーツを辿る旅のような番組だと思っている。その特性として、歴史という意味ではとても長い時間軸でひとつの事象を眺めることになる。ひとつの時代を切り出すのではなくて、紀元前から現代までの長い時間を、ひとつの視点からずっと追っていく。そういう見方だ。だから、ひとつのシリーズがとにか...

話し合いの作法と情報共有。 2023年5月23日

話し合いという場で、どうしても会話が噛み合わないことがある。それは、それぞれの人が大切にしているポイントが違ったり、思想が違ったり、解釈が違ったりするからで、ある意味仕方のないことだ。むしろ、そうした人たちとの対話は望ましいとすら思う。ただ、上記のこと以外で会話が進まないことがあることに気がついた...