口コミを書く時、読む時の視点 2022年9月14日

ときどき、飲食店の評価レビューで見るに堪えないものを見かける。幸い、うちの店ではほとんどないのだけど、感情的にディスられたら嫌な気持ちになるよね。どの店だって、不味いものを作って売ろうと思っているわけじゃないんだから。みんな一生懸命にやっている。

一生懸命にやっているからと言って、必ずしも高評価をしてもらえるわけじゃない。だけど、一生懸命にやっているから、ちゃんと意見を言ってくれるのはとても励みになる。

現代では、口コミサイトがあちこちにあって、誰でも書き込めるし誰でも見られるようになったよね。あれ、良いも悪いも両面だなあって思うんだ。経験したことを感想として書くだけなら問題ないんだけどさ。そうはいかないじゃない。にんげんだもの。マイナスの意見の場合は、少なくとも客として嫌な体験をしたんだろうしね。そうすると、他の誰かに共感してもらいたくなるってのが人情だろうし。中には、店を攻撃したいって思う人もいるのかもしれないけれど、そういうのは論外。

さてさて、口コミの恐ろしさよ。誰でも言える、ということが恐ろしいのかもしれない。

そもそも、うまいまずいを論じるのは、なかなかにスキルがいるのだ。別に料理に限った話じゃないけれど、モノゴトを本当に楽しむにはそれなりの教養が必要なのだから。

例えば、美術館に行くとするじゃない。美術を楽しむのも、ふたつのパターンがあると思うんだ。

ただただ、純粋にその世界に浸る。子供が「わぁー」って、なんの文脈もなく声を上げてしまうような感動。ぼくなんかは、これだよね。たくさんの絵画や彫刻を見たわけじゃないから、ただ目の前にある「それそのもの」の世界に浸ってるだけ。浸るということを、作品の一つずつに向ける。で、根拠もなく「良いなあ」と思うものと、そうでもないものがあるだけだ。だから批判しようがない。他に情報がないのだから。

もう一つは、美術の歴史的文脈を知っていて、それをベースにたくさんの作品を鑑賞してきた経験があったり、中には自信もなにかしらの美術経験があるという場合。想像だけど、きっと感知できる情報の解像度が高いんだろうなあと思うんだ。作家の生涯や、当時の社会環境を知っていれば、「こんな状況からこの絵が生まれたのか」という感慨も生まれてくる。同じ作家の他の作品と比べて、心情の変化を察知するようなこともあるかもしれない。他の作家の作品と比べて、表現方法の違いを楽しむということもあるかもしれない。

美術に明るくもないのに、なぜ美術をメタファーとして持ち出したのか謎だ。

ともかく、誰かの作り出した世界を理解するには、リテラシーが必要なこともあるってことを言いたいんだ。映画でも音楽でも芝居でもサッカーでも野球でも。あとはなんだ。思いつかないけれど、他のこともだいたい同じようなもんじゃないだろうか。

一つのカテゴリについて詳しくなければレビューをしてはならない。ということはない。それはそれで、世界がつまらない気がするんだよね。何の根拠もなく、良いと感じたものを良いというのは、とても自然なことだ。

ローコンテクストとハイコンテクストの話に見えてきたな。でもまぁ、きっとそういうことなんだろう。誰だっけ、この概念を提唱したの。忘れた。

レビューだけじゃないけど、何かを発信するときには「ローコンテクスト・ハイコンテクスト」を意識したほうが良いのかもしれないね。自分自身が、今この瞬間にどちらにあるのか。前提となる知識や文化を理解しているのか、それとも違うのか。もちろん、はっきりと二分するようなものじゃなくて、グラデーション。そのなかで、自分がどの程度のポジションにいるのかってね。

それがわかっていれば、発信する内容が変わってくる気がしてきたな。

前提となる知識や文化の理解が浅いのであれば、質問というスタイルに近づくのか?少なくとも謙虚にはなるかもね。ハイコンテクスト側なら、より深いところで議論が出来るかもしれない。ただ、共感者、理解者はかなり限定的になるんだろうな。批判だとしても、論理的な展開になるのかもしれないなあ。

レビューがハッキリと分かれる映画作品を見かけることがある。作品自体がハイコンテクストなんだろうね。意味がわからないっていう人と、めちゃくちゃ面白いっていう人に真っ二つ。どっちもあって良い。ただ、レビューを見るときには、レビューを書いた人がどっち寄りなのかを観察しないといけないかもしれない。これ、めんどくさいんだよなあ。かと言って、これをシステムに実装するのは難しそうだし。結局、よく知っている知人のレビューが最も信頼できるっていうのは、そういうことなんだろう。

今日も読んでくれてありがとうございます。たべものラジオのせいで、一つ一つの食材に対してどんどんハイコンテクストになっているのだろうか。少なくとも、ぼくは配信を重ねるたびにそうなっている。そのうち、誰にも理解されない料理を作るようになったりして。気をつけよっと。

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