国語のテストで苦手だった読解。2022年10月14日

国語のテストで読解問題というのがある。次の4つのうち、最も正しく表しているものを選びなさいっていう問題。あれ、ホントに苦手だったんだよね。

いやぁ、小中学校くらいの問題だったら、大体の場合は正解がわかるんだよ。きっと、この設問だったらこれを選んで欲しいんだろうなあ。そうやって、設問者の要求していることを読むわけだ。それに、小中学校くらいの問題だと、正解が明らかな場合が多い。だから、点を取るだけならさして問題はない。

けれど、途中から嫌になっちゃうんだ。子供の頃のぼくにとっての「テスト」は、「ゲーム」だと思っていたところがあってさ。問題を解くのは、ゲームの攻略と同じようなもんだと捉えていた。なんだけど、ちゃんとした「文章読解」としては、ちょっと気持ちが悪いんだよね。時々は、納得できないことを正解としていることがあるじゃん。

当時のぼくの読解力がどんなもんだったか、というのはちょっと横においておく。どちらかというと、現在の話をする。今、たべものラジオの原稿のためだったり、自分自身の興味のためだったりで、いろんな本を読んでいる。でね。同じ文章でも、その時々で学びが変わるってことあるんだよ。何度も読む度に解像度が深まっていくって事があるじゃん。まぁ、今読んでいる本の多くは、資料に近いんだけどさ。自分の基礎知識や、その時に注目する語彙によって、受け取り方が変化するわけだ。

そんな中でも、筆者の言いたいことを汲み取っていくわけだ。なんだけど、あまり明言しづらい内容なんかだと、含みを持たせることだってあるじゃない。どうとでも解釈できそうな言い回し。そういうのって、ぼくらの日常会話の中でも頻繁に登場する。それを理解できるのは、その人の背景にある文脈をある程度読み取れる体。同じ日本という社会に暮らしていて、なんとなく昔からある慣習を共有していて、似たような教育を受けている。だから、なんとなく近いものを感じられる。

さて、経験も時代背景も違う人が書き記した文章を読解するには、その書籍にある文字だけでは解像度が浅くなる。明治や大正の時代背景を知識として知っているかどうかだね。知っているのと知らないのとでは、当然だけれど文章から得られる情報量が大きく変わる。これを否定する人はさすがにいないと思うんだけど。

で、困っちゃうのがテスト問題なんだよね。そもそも四択にしているのが無理があるのかもしれないって気がするんだ。どのように解釈を捻じ曲げてみても、ひとつしか答えのないときはいいよ。だけど、そんなケースばかりじゃない。筆者本人が迷ってしまうくらいのときもあるって、文筆家の方がおっしゃっているくらいだ。以前、何かの記事で読んだのだけれど、御本人がテスト問題を見て、4つのうち2つとも該当するので解答に困ったことがあったらしい。筆者の意図を問う設問なのに、そもそも解答がひとつにまとめられていない。2つとも正しい。これは、本人が言っているのだから間違いないでしょう。強いていうならば、過去に書いた文章だから、過去の自分の心情を思い出さなければわからない、ということらしいよ。

学校教育で「読解」を課題として設定するなら、2つに分けたらどうだろう。ひとつは、意図の明らかな文章から意図を明確に読み取る技術を試す。もうひとつは、含みをもたせた文章を読んで、どのような解釈をしたか、どのような解釈があり得るのか、を問う問題。出来れば、その解釈の背景となった情報や、その解に至ったロジックなどもあったほうが良いかもしれない。

実際のところ、読解力ってコミュニケーション力と繋がるところがあると思うんだ。だから、機械的に文章から得られる情報を明確に受け取るという意味での読解力は、前者だけで良い。後者はコミュニケーション力とでもしたら良いのかもしれない。

ただなぁ、本を読むっていうことも、文章を通じたコミュニケーションであると言えるんだよね。そういう意味では読解力と呼び習わすのは当然と言えば当然ということになるのか。確かにそうなんだけど、ここはひとつ切り分けてみたらどうだろう。求められているスキルが違うように見えるからさ。どんな表現をするのが良いのかわからないけど。もしかしたら、表現が「読解力」であっても、カリキュラム上は別の扱いをしているかな。

今日も読んでくれてありがとうございます。誤読することを前提に文章を書く。ぼくみたいな人間はそのつもりでいる。なるべく明確に伝わるようには心がけているのだけど、一方で全く同じ気持ちになることなんてありえないとも思っている。だって、人それぞれに背景が違うんだからさ。むしろ、ひとつの文章から違った解釈が生まれて来ることのほうが面白いじゃん。

記事をシェア
ご感想お待ちしております!

ほかの記事

再発見なのか。それとも再構築なのか。 2023年10月3日

日本料理や日本文化、日本の伝統って一体なんだろう。いろいろと勉強すればするほどわからなくなってしまうんだ。豆腐はたしかに日本の伝統食品だと言われているのだけれど、元々中国のものだし、日本以外のアジアの国々では広く食べられている。日本式という冠をつけるのなら、日本独自の文化ってことになるのだろうか。...

思ってたんと違う。直感と合わないことと向き合うと、Unlockされる快感に出会う。 2023年10月2日

随分と前のことだけれど、興味本位で参加したセミナーの話。子供のための食と食育というようなことがテーマだったかな。その場にいた男性はぼくひとりで、たいていは小さな子供連れのお母さんたち。講師かつ主催者は、自称料理研究家で健康食を主に取り組んでいらっしゃるのだという。特に専門的に学んだわけではないとお...

シェアリングはどこまで拡張できるのか。 2023年10月1日

近年は、なにかとシェアの精神が発揮される社会になってきた。富を独占するのではなくて、みんなでシェアする。知識もシェアする。イギリスの王立協会も、フランスの王立パリ科学アカデミーもフィレンツェ実験学会も、科学知識のシェアという精神が働いていたのだと思う。互いの知識を共有することで、自らの発見を発表し...

相手に合わせて話し方を変えるのは、人間相手だけじゃない。 2023年9月30日

話しかけるだけで応答してくれるテクノロジーがあちこちに登場しているよね。アップルのSiri、アマゾンのアレクサ、グーグルの検索も音声対応しているし、ChatGPTは話題を独り占めにした。ケータイに初めてインターネットが搭載された頃を思えば、なんとも凄まじいほどの進歩である。...

「弱」という名を与えられた楽器。 2023年9月29日

「ギガが足りない。」という表現があるらしい。意味はわかるのだけれど、違和感があるんだよなあ。ジェネレーションギャップなのだろうか。いやいや、ギガって単位ですらない。日本語で言えば「億」とか「万」とかの桁でしかないのだ。「億が足りない」「万が足りない」と言っているのと同じってことだよね。...