夏休みの思い出の一つ、宿題。 2023年8月19日

そろそろ夏休みも終わりに近づいてきている。小中高生は、夏休みの宿題の追い込みに入る頃だろうか。昨日に引き続き学校の勉強の話になってしまったが、姪っ子たちが両親に追い立てられるようにして宿題に取り組んでいるのを見て、気になってしまったのだ。

夏休みの宿題で思い出すことは、自由研究に日記、学習テキストに読書感想文。あらためて書き出してみると、サマーバケーションという割にはバケーションにならないくらいの量に見えてくる。社会人には子どもたちのような長期休暇はないものの、さすがに連休中に持ち帰った仕事をやるということはないだろう。比較対象が間違っているのかも知れないが、なんとなく気の毒な気もしないでもない。まさに、ホームワークという感じがする。

振り返ってみると、ご多分に漏れず夏休みの宿題というのは嫌いだったな。毎日のように遊ぶ計画を立てていたし、計画がない日は本を読んだりゲームをしたり、プラモデルを作ったりしたい。宿題なんてものをやりたいとは思わなかった。なんとかして、「面白そうだからやってみよう」という気持ちになれるような仕掛けはないもんだろうか。

自由研究だけは楽しかった。勝手に好きなことを楽しく調べたり作ったりすれば、それで課題はクリア。いつだったか、当時ハマっていたプラモデルをそのまま自由研究にしたことがあったっけ。お城のプラモデルというのがあってね。組み立てたあとも、着色したり木の模型を作って設置してみたり、土を貼り付けたり、と凝り出せばきりが無い。で、いくつか作ってみて、建物の違いを比較してレポートにまとめたんだ。これは、楽しかった。どんな成果につながるかなんて気にしない。それが自由研究というものだろう。

それでも、苦手な宿題のほうが多かったな。計算問題みたいなものは、最初の数日のうちに全部やってしまうか、最終日近くにまとめてやる。日記なんてのは、特に嫌い。毎日毎日ルーチンワークとして書いていくのがとにかく嫌いだった。だいたい、一日中ゲームしていただけだったり、テレビを見ていただけだったりすると、あまり書くことがない。旅行中は書くことがたくさんあるのだけれど、旅行ではしゃいでいるときに、夜や朝に書くなんて興ざめだ。とすら思っていた。そんな人間が、今こうして何かしらの言葉を書き連ねているのだから不思議だ。

最も嫌いだったのは読書感想文。今は違うらしいのだけれど、僕が小学生の頃は課題図書というのが決まっていて、その中から一冊を選んで書かなくちゃいけないという圧があった。たぶん、それ以外のものから選んでも良いのだろうけれど、課題図書っぽい雰囲気の文学作品みたいなのが推奨されていた。

面白くて読んだ本ならいいのだけれど、興味のない本を読まなくちゃいけないというのが苦痛だったな。嫌々ながらに読むものだから、抱く感想なんかは決まっている。嫌だ。面白くない。つまらない。ま、そんなことを書こうものなら、新学期早々に先生から大目玉だ。

思ったことを書けばいい。どこがつまらなかったのか、何が面白かったのか、どんなところに興味を持ったのか。感想文を読んで、その本を読みたくなるか読みたくなくなるか。そういう感情表現をしようというのが目的なんだろうな。それはわかる。今ならちゃんと書けそうな気もしないではないけれど、どうだろう。要約文になりそうな気もする。たべものラジオがそうだからね。番組になぞらえると、シリーズ最終話のあたりのエンディングトークで語っていることだったりするのだろう。そういう意味では、書けるかもね。

今日も読んでくれてありがとうございます。他愛もない思い出話。夏の風物詩だよね。感想文といえば、中学校などで講話をしたり料理について話すことがあるんだけど、たいていお礼状と一緒に感想文をまとめて送ってくれるんだよね。あれ、いらない気がする。体裁を整えているうちに、せっかく心に刺さったものが霧散しそうだもん。感想文を書く前に、感じたことをクラスの友達と言い合う時間を持つことの方が大切なんじゃないかな。文章化するのはその後でも良さそうな気がするんだ。それも、ぼくらに送ってくれなくてもいいし。ましてや、先生たちの確認作業のために行っている場合だったら、やめた方がいいと思うんだ。せっかく楽しかったものを楽しく無くしちゃうからさ。

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