多読のすすめ。 2023年1月3日

ここ数年は、人生で最も読書量の多い期間だ。もちろんたべものラジオの原稿を書くために調べるということもあるのだけれど、それを差し引いても増えた。料理に関するもの。経営やそれに付随するもの。デザインやマーケティング。思想書。小説。以前に比べると小説の比率はかなり低くなっているが、それは他のジャンルの書籍量が多いからかもしれない。

もともと、本は好きだった。小学生の頃には、学校の図書室の蔵書はすべて読んだ。あの頃は、本が好きというよりもコンプリートしたいという気持ちが強かったのかもしれない。一番最初は、たしか伝記シリーズだったと思う。エジソンだとかライト兄弟だとか、徳川家康だとか湯川秀樹だとか野口英世だとか。いわゆる偉人のエピソードが一冊に盛り込まれている児童向け書籍のシリーズがあった。最近、小学校の図書室で打ち合わせをすることがあって、あらためて書棚を見てみた。あるある。全く同じではないけれど、同様のシリーズがちゃんとそこにあった。ところどころ歯抜けになっていて、少しばかり居心地が悪い。シリーズものはコンプリートしたくなってしまうものなのだろうか。きっと誰かが借りているのだろう。

そういう意味では、漫画は恐ろしい威力を持っている。物語がずっと続いていることもあるが、一度買い始めたら全部揃えたくなってしまう。他の書籍に比べると話の進行は遅いから、膨大な量になってしまうのが玉に瑕だ。けれども、漫画から学んだことも多い。文字だけのものに比べて、イメージを想起しやすい。想起しやすいと言うよりも、そもそもイメージする必要もなく絵なのだ。理解が難しい物事に関しては、とても助けになる。

一方で、イメージの固定化も促してしまう側面もある。登場人物のほとんどは作者の創造だ。だから、それに関しては問題ないのだけれど、歴史を取り扱う場合もある。例えば徳川家康などが登場する歴史漫画。はじめて徳川家康の人物像に触れる場合、当面はその漫画の中のイメージが定着することになるだろう。子供の頃に読んだ「まんが日本の歴史」に登場した今川義元は、自分のことを麿と呼び、貴族風の衣装に身を包み、武芸とは縁遠い存在のように描かれていた。しばらくの間、ぼくのなかの今川義元はそのイメージだったのだ。けれども、後になって今川義元が武勇に長けた武将だったことがわかり衝撃を受けたのを覚えている。

イメージの固着は良いことも悪いことも両面ある。漫画や小説に描かれるものは、あくまでも作者の目を通したイメージ。もっと言うと、作品のストーリーを際立たせるために演出されていることも多い。作者のイメージではなく、作品の都合になる。それが悪いことだとは思っていない。何と言ってもエンターテイメントなのだ。そういうものだろう。

読者が注意を払う必要があるのは、小説や漫画に描かれる歴史上の人物は、主観が含まれているということを知っておくことだろう。ああ、この人はこんな風に見ているのだな。とか。明智光秀の視点から見たら豊臣秀吉はこんな印象だったのかもしれないな。とか。

複数の視点を持つ。そういう意味で、多読は役に立つように思う。たべものラジオのために書籍や論文やネット上の記事を読み漁る。そうすると、それぞれに言っていることが違うということに気がつく。ここは、まだ説が分かれる部分なのだろうな。ということがわかる。経済、政治、文化、芸術、民族など、視点が違えば見え方も違う。歴史を取り扱うにしても、考古学的なアプローチでは解釈が異なることも多い。

最近は、少しばかり情報量が多くて消化するのに時間がかかる。店の仕事が忙しくなると、インプットされた情報が未消化のまま停滞しているということもある。時間や心に余裕がある時のほうが理解や再解釈が進むのだ。だから、正直なところ、短期間での多読には限度があるのだと思っている。人生の長い時間軸で考えて、たくさんの書籍から受け取ったものを蓄積させていく。そのくらいの感覚で多読をすれば良いのかもしれない。

読書をすると、そこから溢れ出す情報のすべてを受け止めて自分のものにしようと思ってしまうことがある。なのだけれど、そんなことは現実的ではない。基本的に人間は忘れる生き物なのだ。一冊の本を読み切っても、しっかりと覚えていられる内容など半分にも満たないだろう。そもそも、そういうものだと思えばいいし。自分の中に残ったものが、その時の自分にとって感じ入ったもの。それで良いじゃないか。

今日も読んでくれてありがとうございます。周囲の人達に言わせると、ぼくは比較的よく覚えている方らしい。確かにそうかもしれない。既に番組で配信した内容であっても、多くの人が忘れている部分も覚えている。それは、能力の問題ではないのだよ。才能でもない。読んで、書いて、まとめ直して、喋る。記憶の定着が最も高いのは、情報を整理して発信するときだ。そこまでやれば、否が応でも覚えるってもんだ。

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