実学と教養について自分なりに言語化を試みたら、ぼくは変人ということになった。 2023年11月7日

たべものラジオで取り扱っている内容は、正直なところあまり役に立たないんじゃないかと思っている。役に立たないというのは誤解を招く表現かもしれないけれど、これを知ったからと言って仕事ができるようなるわけでもないし、商談がうまくいくこともない。急にものづくりの腕が上がるというものでもなければ、出世に繋がるようなものでもない。という意味で役に立たない。実学ではないから。

だけど、案外「役に立たない教養」っていうのは、必要だと思っている。

長い間変わらない社会で、それまでのやり方でずっと安定した生活を送れるような時代。そこでは、職能とも呼べる専門知識が優先される。むしろ、それ以外の知識は必要ない。美味しい食材を見つけ出して、洗練した料理にするとか、大量に効率的に調理するとか、そういった実学が経済を動かす。

ところが、一度歯車が狂いだして、今までのやり方が通用しなくなっていくときがやってくる。歴史上、何度もそういう「変化の時代」が現れる。その時に、一体何が役に立つのかはわからない。都度、英雄や偉人と呼ばれる人が登場してきたのだけれど、それは多分結果だと思う。平時には役に立たない能力を持った人たちの中から、変化の時代に強い力を発揮した人物が時代の寵児となる。もう、それは偶然かもしれない。

平均から外れた人たちの中から、時代にマッチした人材が英雄になっていく。ということは、平均から外れた人の中には、英雄になること無く「ただの変人」のまま生涯を終えることになったケースもあるだろう。

これだと、ヤマが外れたときの受験のようで、なんともつらい。そこは、いい按配になるように理性を働かせるのだろう。バランスと言ってしまうと、チープなのだけれど、そういうこと。

なんというか、役に立たないままかもしれないのだけど、それじゃあんまり寂しいから、「何かしらの役に立つように仕立てる」みたいな努力もする。全くの無益な知識だとは思わないから、やりようはあるはずだ。ビジネスの世界で言われることだけれど、「あのときの判断を間違いにしてしまわないために、結果が出るまでやり切る」という経営者は案外多い。

現在役に立つスキルや知識が、数年後も役に立つかというとそれはわからない。逆もしかり。そういう「変化の時代」にぼくたちはいる。

気になることや興味のあること、好きなことに向き合っている時。気がついたら何時間も経っていて、食事をとっていなかったり、トイレすらも忘れて熱中するようなことがある。たぶん、人生の中で一度や二度は経験があるだろう。何時間もプラモデルに熱中していたとか、ゲームの世界に意識を潜らせていたとか、作品づくりに没頭していたとか。

「今、役に立つ」かどうかよりも「熱中して取り組める」ことを軸にして、覚えたり考えたり体を動かしたりする。そういうことが、実はこの先の時代にとても重要な力になると思うんだ。

年に何度かある中学生向けの講演で、このはなしをすると、一部の先生は苦い顔をする。今の教育に異を唱えられたような気になるのだろうか。それは「今の時代に役に立つ」を前提に組み上げられた教育という意味では、たしかにそのとおり。ちょっと見直した方がいいんじゃないかという立場を取っている。

一方で、「熱中して取り組める」ことを見つけたり、その先へと進むためには最低限の「幅広い学び」が必要だと思っている。日本の義務教育はとても優秀だから、これから飛び込む世界のインデックスを自分の中に書き上げるには効果的だろう。それが、例え詰め込み教育だとしても。

ちょっとだけ、視点を変えて「今の時代に直接的に役に立つかどうかはわからないけれど、これからの時代を生き抜くために力をつける」くらいの感覚を持つだけでいい。それだけでも、随分と教育は変われるのじゃないかと思っている。

今日も読んでくれてありがとうございます。リスナーさんたちに「ヘンタイ」呼ばわりされるようになって、けっこう長い。けっこう気に入ってたりするんだよね。平均的な人って、偏差値で言うと真ん中の50あたりってことでしょ。30の人もいれば70の人もいる。学力の場合は一直線上の比較だから「良し悪し」の方向しか無いんだけど、変人には「方向」がないんだよね。どっちに向かっても良い。

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コメント
  • 役に立つ×役に立つ=…みたいなものは典型的な行政の考える建物のようで、思ったより何も産みださず。無駄×ムダみたいなことの方が思いもしないことが産み出るような気が。美術なんかはモロその傾向ですしね。金・時間の役に立て方=コスパ、タイパみたいなことに重心傾けすぎるとブッダやキリスト的な人は出てこないのではと

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