日本の伝統的な「美意識」は、「重ねわせること」に始まるのかもしれない。 2023年5月6日

世の中には、実に多くの「知らないこと」がたくさんあるものだ。食べ物の歴史を紐解くだけでも、それは多くの学びを得ることが出来る。基礎知識が不足しているために、周辺のことまでイチイチ学び直さなければ理解できないのだけれど、それがまた面白くもある。

最近、ふとしたことから古今和歌集の序文を知った。古今和歌集という言葉は知っているし、平安時代の勅撰和歌集だということは知っている。知っていると言っても、そういうものだと教科書で読んだくらいのものだ。それが、歴史上どんな意味を持っているのか、現代にどんな影響があるのか。そういったことは全くわからないままでいた。学生時代の勉強というものは、概ねそんなものであるような気がしている。

やまとうたは、人の心を種にして、萬の言の葉とぞなれりける。

古今和歌集の仮名序である。序文は2篇あって、ひとつは真名序という漢文で書かれたモノ。そして、もうひとつが仮名序という平仮名で書かれたモノだ。

ぼくが興味を惹かれたのは「種にして」と「言の葉」という表現。日本の文学では、その最初期から「見立て」が行われていたのだろうか。現代人にしてみれば、心を種にするという比喩表現は、さほど驚くようなものには映らないのだけれど、1000年以上前の時代にはどうだったのだろうか。

種と言うからには、それが成長すればすなわち芽が出て花が開くという流れを想起させる。で、言の葉という「葉」に結実するということで、種という見立てを回収しているのだろう。

そもそも、ぼくたちが「言葉」と呼んでいるものは、言の葉というメタファーから生まれた単語なのかもしれない。よく考えてみれば、Languageを直訳するのであれば、当時の知識階級では当たり前に使われていた漢語から「言語」とするのでも良い。にも関わらず、ぼくらは一般的に「言語」よりも「言葉」を使用することが多い。

「言の葉」を常用する習慣は、知らずのうちに日本文化を形成している。そんな風に考えられなくもない。つまり、古今和歌集の仮名序を基準に考えれば、ぼくらの使う言葉は、心こそが言葉の種である。心に浮かぶ思いこそが言葉の本質であるということになる。

花に鳴くうぐいす、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける

梅の枝で鳴いているうぐいすや、蛙の声を聞いたら、誰でも歌を詠まずにはいられないよね。と、そんなことを言っている。仮名序の一部だ。美しい自然の風情を感じてしまったのなら、それに想いを寄せて歌を詠んでしまうのがぼくらの文化なのだ。

美しい自然は、世界中にある。当然だ。なのだけれど、その美しさに心を動かされて、その美しさを表したくのなるのが「やまと」なんだよ、というのが紀貫之先生の言いたいことなのだろう。

このあたりに、既に「それが美しいかどうかは、見るものの心に委ねられる」という観念が感じられる。後に、侘びの世界観でも同様のことが言われるようになるけれど、「美の解釈」は「鑑賞者」のものだという感覚。それは、万葉集や古今和歌集の時代には、既に日本の伝統文化として確立していたのかもしれない。

会席料理や懐石、本膳料理は、季節感の演出に重きをおいている。その日の自然を解釈して、料理という形に表現すること。それが、料理人の歌人らしい振る舞いである。そして、表現された料理という歌から、また感じて楽しむというのが食事の楽しみとなっている。

1000年以上の間、幾万の料理が詠まれて、自然を表現してきた。それは、決して独創性を競うようなものではなく、ありのままの美しさを歌にするような自然な表現。何度も何度も繰り返し重ねられていく美の積み重ね。そして、いつしか定番が出来上がっていって、それをまた味わう。そういうのが、日本の伝統的な情緒なのかもしれない。

今日も読んでくれてありがとうございます。昨年から、ずっと「日本の伝統」について考えているんだよね。考えようとして考えているというよりも、ずっとどこかに引っかかっているという感覚かな。うまく言語化出来ないんだけど、西洋のものとは違う気がするんだ。西洋だと「独創性」みたいな部分が強い気がしていて、それに対して日本ではあまり意識されないようなきがする。手を重ね合うように、ずっと重ねて言っているようなイメージ。

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