今日のエッセイ-たろう

明治という近くて遠い時代 2023年1月6日

ハイカラという言葉を聞いたことがあるけれど、あまりその言葉の意味については知られていない。せいぜい

「はいからさんが通る」という読んだこともない漫画のタイトルで見聞きしたことがあるくらいのもの。なんとなく、おしゃれな人のことを「ハイカラだね」と言っているようなイメージだった。

ハイカラというのは、英語のハイカラー。つまり、高い襟のこと。学ランの襟のようなもので、バンドカラーとも言われる形で、その襟が首の上の方まであるくらいに高い。そういうハイカラーシャツのことを指している。

もともと西洋の衣服はブラウスを着ていた時代があって、襟元も手首もひらひらのドレープがついていた。そうだな。シューベルトの肖像画とか、映画パイレーツ・オブ・カリビアンに登場する提督が着ているシャツの襟。髪の毛をくるくるしている時代のことだ。

これが簡略化されて、今のような硬さをもった襟になってくる。それこそシューベルトやベートーヴェンの肖像画では、襟元のモジャモジャが見られない。当時はカラーの部分は洗濯が大変だったので、取り外せるようになっていたそうだ。さらに簡略化されて、襟が一体となった現在のシャツの形になってくる。この過程で1850年代に流行したのがグラッドストーンカラー。大久保利通の肖像画をみるとよく分かる。

日本でも西洋の流行に乗って、グラッドストーンのシャツを着る人達が現れた。それこそ、鹿鳴館でダンスをしているような紳士っぽい人たち。岩倉使節団で西洋にわたって勉強した人たち。彼らのことを「西洋かぶれ」とか「キザで嫌味な」という意味で「ハイカラ」と呼んだ。明治時代の言葉だ。

当時のハイカラな人たちが、なぜ西洋文明を取り入れて体現しようとしていたのか。これについては、たべものラジオの中でも何度か語っている。西洋の価値観でもわかりやすく文明国であることを表現しなければならない。でないと、いくら日本的な文脈で文明を伝えても理解してもらえないのである。宮中の正餐にフランス料理が採用されたのもその影響だ。加えて言うならば、不平等条約の改正のための行動だった。関税権と司法権を奪われた状態。今では考えられない話だけれど、外国人が日本国内で日本の法律を犯しても日本の法律で裁かれることがないのだ。外国の裁判で裁かれる。日本の慣習などお構いなしだし、仮に外国の方に触れるようなことであっても自国びいきということもありえた。これを変えたかったのだ。

しかし、当時の日本は野蛮だと見られていた。例えば、イギリスでは上流階級の婦人が夜も出歩いていて、ダンスパーティーなどにも参加している。日本ではそのようなことがない。もちろん、それは文化的なものなのだが、イギリス人はこういった。女性が夜に出歩けないのは治安が悪いからだ。そんな治安の悪い国に自国民の司法を任せる訳にはいかない。と。

だからこそ、鹿鳴館などというものを作って、わざわざ毎晩ダンスパーティーをしてみせたのだ。ほら、日本だって大丈夫でしょう、と。

涙ぐましい努力なのだけれど、当時の明治市民は気に入らない。日本の伝統文化があるのに、やれ西洋だとかぶれやがってと。これも致し方ないことで、実は上記のような事情が広く知られるようになったのは昭和に入ってからのことなのだ。明治時代の人たちにとっては、ただのいけ好かないやつにしか見えていなかったという。

明治時代の情報の流通は現代のそれとは比べ物にならない。インターネットどころかまともな新聞というものがないのだ。そもそも、小説というものすら概念が違う。江戸時代の戯作に見られるようなフィクションの物語もあったし人気を博していたのだけれど、それはまともな書物ではないとされていたくらいだ。大説という政治家や論説が語る文章があって、これに対して市民が書く政治的な文章を小説と言っていた。純文学というよくわからない小説ジャンルも、基本的にはノンフィクション。フィクションなんてくだらない、と福沢諭吉も言っている。

明治時代っていうのは、江戸時代よりも感覚が遠いかもしれない。どの時代の社会であっても、みんな現代とは感覚も常識も違うのだけれど、比較的近い時代であるはずの明治のほうが江戸時代後期よりも遠い感覚があるのだ。なんというか、常識が違う。常識が違うから、そこからどのくらいずれているのかがわからない。だから、当時の笑いのツボだってわからない。下手をすると、面白おかしく書かれた小説すらも歴史資料になってしまうかもしれないのだ。そう考えると、なかなか歴史を掘り起こしてみるというのも面白い。

今日も読んでくれてありがとうございます。もしかしたら、ナスカの地上絵などに意味なんてなかったのかもしれない。ただただ、面白いからという理由で描かれただけかもしれない。歴史を眺める時には、色々と妄想を広げて当時の人たちの感情を探っていくしか無いんだよね。何でもかんでも意味を持たせようとしちゃうと、わけがわからなくなっちゃうし。

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武藤 太郎

1988年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

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