日本は魔改造文化だと言われている。日本発祥のものは少ないけれど、海外から取り入れたものを魔改造し続ける。その結果、原型がわからないほどに魔改造が施され、それは日本独自のものに昇華される。そして、日本発祥の文化と認識されるのだ。
魔改造文化はどこの世界にもある。たべものラジオで世界の食文化を知ることでそう思うようになった。一方で、日本ほど変化を遂げる文化も少ないことも知った。
料理や食材には、人名や地名が用いられることがある。唐辛子やトウモロコシ、ジャガイモなどのように、その物自体の名前になることもあるし、二つ名を与えられることもある。ごま豆腐は利休豆腐、山椒煮は有馬煮といった具合だ。いつしか、こうした名前と魔改造文化はどこかで繋がっているのかもしれないと思うようになった。
二つ名は、関わりの深い固有名詞が与えられている。これは、歌枕のようにも感じられる。その名を聞くことで、思いを馳せるからだ。胡麻豆腐を作る時には、千利休が好んだのだことに思いを馳せることがある。禅宗と茶懐石と茶の湯。ぼんやりとだが、風景が浮かぶようだ。
歌枕と言えば、奥の細道が思い出される。ぼくにとっては、これが一番わかりやすい。松尾芭蕉は、尊敬する西行の500回忌に合わせて、歌枕を巡る度に出たという。西行が和歌を読んだ地を自らの足で辿る。そして、彼の地で西行に思いを馳せながら、自分なりに歌を読んだのである。
先人が作り上げたものを愛しむ。そして、私も自分なりの解釈を加えて作ってみる。旅がそうであるように、創作もまた「なぞる」ことなのかもしれない。解釈の違いは、創作物に現れる。似ているけれど違うものになることもあれば、ガラリと違ったものに変容することもある。日本のアートは、そうした小さな差異の積み重ねによって、最初のものとはかけ離れたものへと変容したのかもしれない。
自分なりの解釈。ほんのちょっとの工夫。それが大きな差異を作り出すには、多くの創作が必要になる。生き物が遺伝子によって進化する時、世代交代の回数が多いほどに変化が早くなる。同じ様に、膨大な数の創作が生み出されたのだろうと思う。それは、全く新しいものを作り出したのではなく、前の世代のものを踏襲しながら少しだけ変わるといった類のものが大半だろうと思う。
和歌は長歌や短歌などの多くのバリエーションが存在した。それがいつしか定型化されたが、一方で俳諧の上の句というものが登場する。狂歌や川柳など、それまでの和歌の美麗な景色から抜け出したものもある。明治になった頃には俳句が成立し、破調はやがてどこまで許容されるのかわからないほどに変化したという。
どこまでも美しさや便利さを求め続ける求道者のような姿勢。これ以上進歩しようがないと思うと、さらに細かな部分まで改良を加え続ける。それも極限まで達したかと思うと、そこから変化を始める。途中から、遊びになる。そうして遊びに昇華されたものが「道」という名を与えられるのかもしれない。現代風に言い換えれば、道を作り出した多くの先人達はみなオタクである。
今日も読んでくれてありがとうございます。量質転化の法則という言葉がある。漫然と量をこなしても何者にもならないのだけれど、本気のオタクが世代を超えて積み上げた絶対的な量は、独自文化まで押し上げる要因になったんじゃないかと思うんだ。それは、先人への経緯と自分なりの美を重ね合わせ続けた先に到達する境地なんだろうな。魔改造っておもしろい。