今日のエッセイ-たろう

歴史に取り残された感情。 2023年1月15日

ずいぶんと前のことになるのだけれど、バンド活動に熱中していた時期がある。急にそんなことを書きたくなったのは、友人のミュージシャンの動画を見たからだ。一緒に音楽を演奏して、酒を飲み、時には反目しあって。それでも長らく肩を並べた。一昨年、若くして亡くなってしまったのだけれど、彼の音楽は今でも生きている。

しんみりしてしまってもしょうがないんだけどね。なんというか、今でも音楽がちゃんと息づいているのがすごいなって。

もう、ぼくはずいぶんと長いこと演奏をしていない。と言ってもぼくが演奏できる楽器なんてドラムしか無くて、ギターも鍵盤楽器も触ってはいたけれど、まともに奏でられるようなものじゃない。あんまり難しいことは向いていないのかもしれない。それでも、20年前には本気でミュージシャンになりたくてもがいていた時期もあるんだよね。彼の歌を聞いていると、すっかり忘れていた気持ちを思い出させる。なんだろうな。ちょっと嫉妬みたいなものがあるのかもしれない。プロであるかどうかではなくて、好きな音楽を続けていることに対する嫉妬。いつの間にか遠ざかってしまった自分を見つめなければならない。そんな気持ちになってしまう。そんなことは、ぼくの勝手な妄想でしか無いのだけれどね。それはわかっているのだけれど、嫉妬のような羨望のような気持ちがあって、どこかで彼を避けていたという頃持ったんだ。

彼の歌声も曲も好きだから、ライブにも行ったし音源も持っている。もう、新曲を聞くことはなくなってしまったのだけど。それでも、いまだにどこかで嫉妬してる自分がいる。不思議だよなあ。親友でありながら、どこかでヤキモチを焼きながら、それでも一緒に朝まで飲み歩く関係。馬鹿野郎。

今となっては、先に行ってしまった彼に浴びせられる罵詈雑言はそれだけだ。

実は、たべものラジオは3人での構成を考えていたんだ。太郎と拓郎と彼。ポッドキャストとは決めていなかったのだけれど、食べ物の話をするかどうかすらも決まっていなかったのだけれど、この3人で番組を作りたいって思っていたんだ。進行役兼聞き役として、彼とも話を進めていたんだ。食べ物の歴史だけじゃなくて、熱い想いをもって行動している人たちを紹介するという番組をやりたいって語っていた。

何をやりたいと思っていたのか。今更整理すると、多分こういうことだと思うんだ。思いがあってそれを実現しようともがいている人を紹介したい。そのルーツを語りたい。そんなことだったんだよな。現在でも過去でも構わなくて。どこにでもそういった人はいるからさ。結果がどうなるかはわからないけれど、とにかくやってみるという人たちの情熱を共有したい。そんな感覚かなあ。

たべものラジオは、いろんな人に聞いてもらっているのだけれど、実は上記のような思いが最初にあったんだよね。今、ぼくがたちが当たり前のように受け取っている食文化だって、いつか誰かが作り出したものなんだ。人が作ったものには、必ず誰かの思いが乗っかっている。必ず物語がある。そこを紐解くことで、僕たちが享受しているものごとを、再解釈することが出来るだろう。それって、嬉しいし面白いよねってことを発信したいと思ったのが原点だったかな。

歌って、感情を動かすんだ。だからライブでは、わけも分からず熱狂してしまう。論理なんかどうでもいいって感情になるんだよね。実は、人類史はそういう感情で動いてきた部分もあるんだと思うのよ。後世の人、つまり歴史を眺めるぼくたちなんだけど、そのポジションに居ると何かしらの意味を見出そうとするんだ。数万以上もあるブログの中で、わずかに残ったものがあるとするじゃない。そのうちいくつかがバイアスの塊であって、独特の世界だとしても、それが歴史に残ることになる。後世の人達は、それをオフザケとは考えずに「何かしらの意味があるもの」と捉えてしまうかもしれない。そんなものだと思うんだ。

プラモデルを作る人たちの痕跡だけが歴史に残ったとしたら、未来人はそれを歴史の資料として利用するかもしれない。そんな感覚でぼくらは過去を見ているかもしれない。

かつて生きていた人たちの痕跡を、そこかしこに見ることが出来る。発掘された遺跡しかり、古文書然り。でも、それが必ずしも時代の熱狂を表してるとは限らない。ぼくは、友人の音楽を通してそれを感じることが出来る。もしかしたら、友人だからこそわかるような気になっているのかもしれない。なのだけれど、それでも音楽は熱狂や感情を伝える手段としては優秀なんだと思うんだ。公式文書よりもずっとね。

そんな風に考えていくと、過去を遡って歴史を紐解くときには、日記や和歌や戯作や絵や芸能を理解するのが良いんだろうな。今、ぼくらが学習する歴史というのは、大半が政治や社会なんだけどね。それって片手落ちな気がするんだよ。もう少し文化面をフューチャーしたら良いのにって思う。

もし可能なら、当時の歌声が聞こえたら良いのにね。ああ、だから絵や彫刻みたいなものが重要になるのかもしれないな。

今日も読んでくれてありがとうございます。データみたいな文字だけでは表せない感情。それがそれぞれの時代に生きたそれぞれの人にある。という感覚は、歴史を勉強していると鈍くなってしまうことがある。そうじゃないんだよなあ。どうでもいいけれど、彼の曲を聞いていると、今は原稿も勉強もどうでも良いやって気持ちになる。音に身を委ねていたい。バンドやりたいなあ。

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武藤 太郎

1988年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

-今日のエッセイ-たろう
-, , ,