結婚式の意義について考える。人と人のつながりを作ってきた社会の仕組み。 2023年5月18日

先日、お店の企画として「食×婚礼」という動画を収録した。そろそろ、一般公開されているだろうか。たべものラジオのように、事前調査にメチャクチャ労力がかかる収録もあるけれど、その場で色々と思考しながらの収録は当日の労力が高いらしい。少々脳みそが疲れた。

さて、せっかく婚礼について調査したので、簡単に紹介してみようと思う。

日本における結婚の最初の記述は「古事記」や「日本書紀」にある神話。イザナギとイザナミがオノゴロ島でのことだ。天御柱の周りを回って、お互いに「あら、素敵ね」と言い合って夫婦になる。なんともシンプル。神話はあくまでも神話ではあるのだけれど、神話が成立した背景があるだろう。ということは、ある程度は古代の感覚が反映されていると考えても良さそうだ。

この時点の、結婚は「互いの合意」だけで成立している。

互いの合意だけではなく、周囲の合意が必要になってくるのは平安時代くらいから。男性が、3日間連続で夜に女性のもとを訪れる。それは、特定の女性との関係が続くこととみなされて、露顕(ところあらわし)という宴が催される。こうした行為は、貴族社会のものなので、訪れるたびに男性もその従者も女性側の家族からもてなしを受けていたらしい。3日目があけると、もう確定だよね、という認識になる。露顕には、女性の関係者が複数集まって、結婚したことが披露される。つまり「親族による認知」が結婚の前提となっているようだ。ちなみに、庶民は儀式などなく「互いの合意」が基本のまま。

社会の権力者が貴族から武士へと移り変わる鎌倉時代以降になると、少しばかり様子が変化する。男性が女性の元へと通うのではなく、女性が男性の家に入る。嫁入り婚というスタイルが定着する。家と家とが権力を争う時代になったので、なによりも家が大切ということになる。一般に「家制度」と呼ばれる社会構造が出現することになった。こうした社会では、家族だけでなく「周囲の合意」が必要になってくる。美濃の斎藤と尾張の織田が血縁関係だよということは、ある程度広範囲に知らしめられることでその効力を発揮するからだ。

この時代に日本に訪れたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは、「日本では結婚式はしない」と記している。彼がどのような認識をしていたのかは不明だ。ただ、実際に豊臣秀吉は若かりし頃に質素ながらも正室であるねねと婚礼の儀式を行っていることを考えると、キリスト教的な認識における結婚式のことを指していたのではないだろうか。つまり、神に誓うというフォーマット。そういう意味では、まだ日本には存在していない。

江戸時代に入ってから、庶民の間にも少しずつ「祝言(しゅうげん)」が広がってくる。神事に用いられる「盃事」「酒礼」の概念が導入され、儀式化していくのだ。村人同士の結婚であれば、あまり儀式化することもなかったようだけれど、村の外から人を迎えるようになると儀礼が成立するようになってくる。儀式を行うことで、双方の親族や村の代表者達による「周囲の認識」を行うのだ。戦国時代よりも広範囲の「周囲」を対象にし始めたということだろう。

もう一つ加えるならば、ある種の呪術的な儀式へと発展するきっかけにもなったようだ。酒礼は、その起源をたどると「神との交信」である。それが人間同士の交流へと発展したものだ。神と人とが交流して、それぞれが見守るような「世間」をその場に作り出す。その中で、晴れて夫婦として認識されることが重要視されてくるのだろう。

床の間に高砂の尉と姥の掛け軸が飾られ、島台には鶴と亀の置物が飾られる。むろん、ふたりの末永き幸福を祈念し祝福するものだ。これらの装飾品が、儀礼化への足がかりになっただろうと想像できる。

と、ここまでの「日本の婚礼の歴史」を見てみると、全ての時代において「人前式」であることがわかる。結婚の証人は人や社会、日本式に言い換えるならば世間なのだ。神様に誓うこともなければ、承認してもらうこともない。こうした感覚は、日本の神祇信仰と密接に結びついているように思える。

神前式が始まるのは、明治以降のこと。とりわけ、明治33年の大正天皇の婚礼の儀が影響している。国民の間で神前式が普及したのは、高度経済成長期のこと。団塊の世代のうち80%は神前式だったという。天皇家が宮中の神殿に参拝するのは、先祖の霊をお参りすることと通じている。廃仏毀釈運動にも見られるように、日本の伝統が再形成される時代にあたって、神祇信仰を神道へと書き換えた時代の出来事のひとつだろうと思われる。

こうした背景が想像できるのだけれど、国民にとって八百万の神々は生活に近く、思想的にも受け取りやすいものだった。だからこそ、真似したいという人たちが現れて、東京大神宮によって神前式がフォーマットとして作られることになったという。

チャペル式の結婚式に関しては、もっと新しい。平成のバブル経済の中でのことだ。特に理由はない。強いていうならば、おそらく舶来の品物や文化に憧れる風潮があったというのがそれに当たるかもしれない。なんとなく、おしゃれだなぁという感覚。そうしたムーブメントは確かに存在した。フレンチやイタリアンなどが流行して、世界中のブランド品が東京銀座にショップ展開されていた。

もしかしたら、心の何処かに「西洋文明においついた」という感覚が潜んでいたのかもしれない。自分たちよりも先を走っていると思っていた西洋の文化を取り入れられることは、先進的であり豊かであることの象徴だったのかもしれない。

さて、こうして「婚礼」について見ていくと、何が核となるポイントなのかが見えてくるような気がしてくる。神に誓うのでもなく、定形の儀式を重視するでもない本質的な意味。そこには、周囲の認知と今後の連帯が見えるのだ。

結婚を通して、婿と嫁は夫婦になる。それと同時に、それぞれの家族は親戚という繋がりが生まれる。こうしたつながりを意識する社会は日本だけのものではない。世界中のあらゆるところで見られる現象である。人と人とが特定の条件でコミュニティを形成することは、ホモ・サピエンスのスタイルなのだろうか。

繋がりを重視するのであれば、そこには必ず飲食が発生する。共飲共食は、人と人との心の距離を近づける働きがあることは、古くから認められてきた。古代ギリシアにおけるシュンポシオンは酒宴の席であり、哲学論議も行われたことで知られている。古代エジプトでは、労働のあとにビールの酒宴があって、そこで交流を深めて連帯感を醸成したことが知られている。神事における直会も同様だ。

となると、日本の婚礼において最も重要なポイントは「祝福」「認知」「連帯」ということになるだろう。派手な演出や、定型化した儀式だけが全てではないということだ。ここまで、あえて結婚式ではなく「婚礼」という単語を使ってきたのだが、それは婚礼には結納などの関連行事が含まれるからだ。それらもまた、段階的な「祝福」「認知」「連帯」の場であろう。結婚式と結納では対象と濃度が異なるという理解で良さそうだ。

昨今のブライダル事情を見てみると、フォト婚やナシ婚が増加傾向にあるという。金額的な問題や、準備にかけられる時間や労力を考えると、理解できる部分も多い。ただ、今一度「削ぎ落とす部分」の見直しをしたほうが良いのではないだろうか。儀式を削ぎ落としたときに、一緒に削ぎ落とされるものがあるはずだ。

婚礼に限らないが、「目の前にある良くないと思えるもの」をやめるために、それを支えているモノゴトをやめる。しかし、それを支えているモノゴトは、「他の良きこと」をも支えている可能性があると思う。だからこそ、検討と選択が必要だし、変形も考えなくてはならないのだろう。

今日も読んでくれてありがとうございます。少々長くなってしまったけれど、たべものラジオで話す機会もないだろうからね。ちょうど社会の転換期だし、生活習慣なども新しい形を模索するような時代なんだと思うんだ。婚礼についても、今一度見直したいところだ。

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