茶の湯とお茶の歴史をざっくり。 2023年1月16日

お茶の話をしたのは、もうずいぶん前になる。たべものラジオの第3シリーズ。あの頃は、色々と試行錯誤の中だったなあ。今思うと、調査の課題もあって物足りない部分もあるし、逆に功を奏していい感じに情報が削ぎ落とされているようにも聞こえる。どちらにしても、力量不足。まぁ、だからといって今からもう一度お茶の話をしても、どれほど良くなるかというとそれは疑問が残るかな。

さて、お茶の歴史を少し違った角度から見てみようと思う。あれから一年以上の月日が流れ、それなりに多くの情報に触れてきたからね。その分だけ、違った見方が出来るようになったのかもしれない。

喫茶文化を日本に定着させるきっかけを作ったのは、やっぱり栄西だ。禅宗の普及とともに広がったというのも、そのとおりだと思う。ただ、茶の湯には必ず庇護してくれる誰かがいたからこそ、文化的にも発展したし、広く知られるようになったのも事実。中国から伝えただけでは広まりもしなかっただろうし、定着もしなかったかもしれない。

そう考えると、栄西が鎌倉幕府と近い存在であったことは十分に意味がありそうだ。この時代の仏教勢力は、経済マフィアのような力があって、大陸との貿易による利益を握っていたとも言える。平安時代の朝廷や藤原氏や平清盛なんかは、天台宗などの仏教勢力を経済的なパワーの背景としていた。鎌倉幕府は、既存の権力を打ち破る形で登場したのだから、既存仏教勢力との結びつきがない。そこで、白羽の矢が立ったのが臨済宗だったというわけだ。実際に、栄西は鎌倉幕府から土地をもらって各地に寺を開いている。貿易による実験を握っていたという物証も多く発見されている。

武士勢力という力を背景に、茶の湯は広まった。と見るのが良いだろう。闘茶が流行したのも武士階級。ただちょっとばかり、遊びの要素が強くなりすぎてしまった。もともと、禅宗の精神性と密接に結びついていたのが茶の湯。茶というか茶の湯である。というのも、中国における喫茶が禅宗と強く結びついていたからだろう。

室町時代になって、遊びになってしまった茶の湯を禅宗と結び直したのが村田珠光。わび茶の原点だ。武野紹鴎から千利休へと繋がる系譜はまさに禅宗の思想に則ったものだろう。古田織部、小堀遠州へと繋がっていく系譜は、「武士の茶の湯」である。利休の息子たちが受け継いだ三千家とは違う流れだ。あくまでも武士のための茶の湯。

江戸時代になると、文化の中心が庶民に移行する。豪商と言われるような人たちが、文化の嗜みとして和歌や俳諧と同じ様に茶の湯に興じるようになる。そのおかげで茶の湯の庇護者は武士から裕福な商人へと移っていく。でも、やっぱりここでも茶の湯が乱れる。乱れると言ってしまうと聞こえが悪いのだけれど、豪華になってしまうのだ。高価な茶碗を取り寄せたり作らせたり。掛け軸も茶室も仰々しくなってしまう。

これを案じたのが千利休の一族である三千家。表千家と裏千家と武者小路千家というのが、利休の次男三男四男の家系で、これらをまとめて三千家という。で、家元制度を取り入れて、利休から繋がるわび茶の思想を体現したものだけが茶の湯の正統派だと言うことになった。まぁ、そのかわり格式張った様式にはなってしまったのだけれど。

ここまでざっと、500年くらいの話。誰かの庇護を受けて発展しては、その庇護者の影響で変化してしまい、それを戻す。ということを繰り返してきたのだろう。これがざっくりとした茶の湯、つまり抹茶文化の流れかな。

煎茶は賣茶翁から連なる別の流れがある。そっちもまた黄檗宗という禅宗の系譜である。そもそも賣茶翁という人物が黄檗宗の僧侶なのだ。黄檗宗という宗派はあまり知名度がないかもしれないけれど、日本の開祖は隠元禅師。普茶料理を日本に持ち込んだ人物で知られている。日本料理にも多大な影響を与えた存在だ。で、この黄檗宗が日本に伝来したのが1654年。臨済宗や曹洞宗に比べると、400年の時間差がある。この時間差が面白いのよね。400年も時間が経つと、中国と日本では同じ禅宗でも異なった変化が起きている。宗派もそうだし、食生活もそうだ。茶においても変わっている。17世紀の中国で主流となっていた茶の飲み方は煎茶。これに対して日本では抹茶文化が独自の美意識と精神性に基づいて発展していた。精進料理も、日本では日本流の変化をしていたし、中国では中国流の変化をしていた。この中国流の変化によって成立した精進料理が日本に持ち込まれて、普茶料理となったのだ。

ぼくは、これが面白い。大元を同じくする流れが、別の土地で独自に変化していく。で、交差するタイミングによって、まるで別物が目の前に現れたような錯覚に陥る。なのだけれど、実は兄弟のような関係ということがあるのだ。幼い頃に別々に暮らすようになった兄弟が、数十年ぶりに再開したらまるで他人のように思えたと言うくらいのことなのだろうか。400年ともなると、それはもっと大きな衝撃なのかもしれない。

今日も読んでくれてありがとうございます。近代まで行くつもりだったけれど、賣茶翁と煎茶の話をし始めたら長くなってしまった。ということで、明日もこの続きです。

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