衣食住の次に続くものはなんだろう。という話の続きだ。
自由、移動の自由、旅、と思考のバトンを繋いできた。旅先で受け取るのは、理性以外の五感で受け取るあらゆる情報。そしてそれらに触れることで動く感情の動き。というところまできた。
そうだ。旅先では、交流というのもあるな。人が人と交流すること。人じゃなくてもいいか。動物と交流することも含むだろう。現代人は、あまり旅先での交流をすることが無いらしい。過去の人たちに比べて、ずっと少ない。まあ、そうだろう。近代以前は、移動時間が長いのだ。誰とも交流しないということのほうが少なかったのかもしれない。旅は道連れ世は情け。という言葉が生まれたくらいだ。行き先が同じ方向なら、一人で行くのも寂しいことだし、途中まででもご一緒しようじゃないか。というようなこともあっただろう。なんとなく、寡黙な一人旅というのは、ちょっと変わった人だったかもしれないとも想像する。時代劇のイメージだから、あんまり意味ないけど。
3日、半日、数時間。どの程度かは知らないけれど、二度と出会うことのない人との交流の時間。というのは、旅における一種の娯楽でもある。
これは、人類にとって必要な欲求の一つだろうな。社会が成り立っていて、そのなかで生かされると思えば、まさにそうだ。コミュニケーションが鍵を握っているような感覚さえある。
余談だけれど、ぼくは旅先で知らない人と会話を始めることが多い。お土産物屋でも旅館でも飲食店でも、気がつくと色んなところで話をしていることがある。それが、なぜかはわからない。自然とそういうことになる。動物としての本能なのだろうか。より原始的な現代人。そういうことだ。
交流がない。これは、しんどいかもな。失ったら困るかもしれない。誰にも合わずに、誰の力も借りずに、ただひたすら一人で生きていく。物質や文化や知恵などの恩恵、そういう間接的な交流も含めたら、人間は一人じゃ生きていけない。直接的な交流は無くても生きていけるか。個人的には厳しいものを感じるのだけれど、平気な人もいるだろうしな。
そういえば、自分以外の生物との交流がなかったとしたら、感動ってあるのだろうか。映画アイ・アム・レジェンドでは、主人公がまるで孤独と戦っているように振る舞っているけれど、そのそばには必ず愛犬がいる。愛犬なしでは精神を保つことが出来なかったかのように描かれていた。愛犬がいるからこそ、心の変化がある。喜怒哀楽。こういうものは、人間活動として必要なことなんだろうか。
衣食住感動。あらま。並べてみると、なんだかバランス悪いや。レイヤーも合ってないし。まだ、旅ということのほうがバランスが良い。感動と言えば、物語ってのも悪くない。物語は実話出会っても虚構であっても良い。
そういえば、人類は各地で宗教を生み出したんだった。日本人は平気な顔をして無宗教と言い放つけれど、そんなことはない。完全な無宗教という文化が歴史上存在し得たのだろうか。ユヴァル・ノア・ハラリによると、ホモ・サピエンスは虚構を生み出す力があったから生き残れたという。その表出のひとつが宗教だと。宗教という単語は、しっくりこないな。言葉自体が近世以降のものだし。物語と呼ぶほうが、今回の話の表現としては相応しいようにも思える。
衣食住物語。さっきよりは、収まりが良さそうだ。なんだか、本のタイトルみたいだな。文明の始まりについて述べられている書籍。そんな感じがする。
ここまでで、ぼくなりに見えてきたこと。
心が震えるような感情の動きというのは必要そうだ。そのための手段として、旅とか交流といったコトがある。物語も加えても良いかもしれない。これは、個人として、生き生きと生きるために。である。
これが一つだ。
それからもうひとつ。
社会性を保つためにも、交流とか物語が必要になりそうだ。この2つがあることで、人類はダンバー数を超えた集団を形成することが出来ているらしい。ホモ・サピエンスは社会性動物なのである。これが無かったら、とっくに消えた種族になっていたかもしれない。だそうである。こちらは、集団として生きるために。だ。個人として生きるため、という言い換えも出来そうな気もするな。利己的な遺伝子の話になるけれど、それはまたちゃんと読み直してからにしよう。
どうにも一つに絞り込むのは難しそうだ。なんとか、衣食住の続きを導き出してみたいと思ったのだけれど無理があったか。いろいろと、不足している。情報も知恵も勉強も足りない。いつか、なにかを思いつくと良いのだがね。
というところで、今のところは次の3つが同列で4位ということになる。旅、物語、交流。てなところで、昨日から続く考察については、一旦終わりにするか。脳みそが疲れてる。こういうの、ホントにエネルギー使うんだよなあ。
今日も読んでくれてありがとうございます。御三家と新御三家みたいになったな。収まりは良くなかったけど、人間にとってなにが大事なんだろうということを考える切っ掛けにはなった。ということで、これもまた良しとしよう。答えは出せなかったが、問いは残せた。誰かが続きを考えてくれるかな。