読む人を考えない手紙。2022年9月3日

日本で廃仏毀釈のムーブメントが起きた明治初期、多くの寺が壊されて無くなってしまった。今思うと、もったいないということにはなるのだけれど、当時の価値観では違ったようだ。大きなお寺の壁や床の板も、薪として売りに出されていて、それも二束三文だったらしい。残っていたら観光資源になったんだろうけどね。まぁ、今でもそういうことをやっているんだろうし。現代人が気がついていないだけで、100年後になって平成令和に余計なことをしたと感じることがあるかもしれない。

明治初期に壊されずに残ったお寺の中には、現在重要文化財指定されているものもたくさんあるのだけれど、それも中に入ってみると落書きが見られる。もちろん、当時の落書き。いつの時代も若者の落書きというのは、あんまり変わらないんだろうね。今は少なくなったけれど、公衆便所の落書きと大差ない。下ネタも多い。そんな落書きがしっかりと文化財の中に残っちゃっているんだから、なんとも言えない気持ちになる。

ずいぶんと前に、その落書きの実物に触れたことがある。墨で書かれたものや、柱に彫られたもの、どんな人物がどんな気持ちで刻んだのだろうね。ホントの気持ちなんてさっぱりわからないけれど、実物に触れている瞬間だけは、なんとなく妄想を働かせてみたりする。落書きそのものは100年以上昔のものだけれど、ぼくのなかで動き出した妄想は現代のものだ。

落書きを残した本人は、何かを伝えたかったわけじゃないだろうね。名前を書いた人は、少しくらいはその気持もあっただろうけれど、下ネタにそんな意図があったとは想像しにくいし。ただただ、その瞬間が愉快だったというだけのことなんだろうな。もしかしたら、お酒を飲んでふざけて書いたのかもしれないし。

けれども、今この瞬間にも誰かの目に触れて読まれている。不思議だなあ。何かを伝えたいという意図なんかまったくないのに、それでも誰かが受け取っている。長い長い時間をかけてね。

これは、お寺の落書きだけど、公家の日記だって同じだと思う。日記なんだから、1000年後に貴重な歴史資料になっているなんて思っても居なかっただろうしね。藤原定家とか山科家3代にわたる日記、御湯殿上日記なんてただの日誌だもんね。それが、現代では歴史を知るための貴重な資料。武田信玄なんて想い人に当てたラブレターがガラスケースで展示されているんだもの。本人が知ったらどう思うんだろう。

手紙をガラス瓶に入れて海に投げ込む。今はもうできないか。誰が読むかもわからない。どこかの誰かに宛てた手紙。返事のない手紙。読んでもらうための文章だから、前述の落書きや日記とは少し趣が違うだろうけれど、読まれないかもしれないと思って書くというところは同じなんだろうか。

本来、言葉っていうのは今の自分じゃない誰かに宛てたメッセージを残すために存在している。未来の自分だったり、他の誰かだったり。誰かに読んでもらうために文字が存在しているはずだ。だけど、誰も読まないことを想定して書くというのは、面白い現象だと思うんだ。

それって、どういうことなんだろう。

もしかしたら、書くということ、書いたということ自体に何かしらの価値とか意義を見出しているんだろうか。見出しているというよりも、なんとなく感じているのかもしれない。面白いとか。それも錯覚なのかもしれないけどね。

誰かが読むかもしれないと思っていても、読むのが誰かまでは想定していない。そんな文章たち。見えない誰かにガラスのボトルが届く。距離も時間も越えてどこか遠くへ。

ただただ、ボトルと手紙という実物が存在していることの力強さ。なんとなく感じちゃうんだよなあ。受け手が誰であるか。そんなことを全く考えないからこそ、価値観や判断軸が自分の中にある。読み手なんてどうでもいいっていうくらいに、開き直った姿勢だからこそ生まれる力強さ。創造性って、こんなところから繋がっているのかもしれない。

今日も読んでくれてありがとうございます。ビジネスは価値の判断軸を市場に置きがち。その方が利益につながりやすいだろうしね。だけど、市場優先しすぎるとどこにもいけないということもあるじゃん。このバランスが難しいんだろうね。ところで、このエッセイを読んでいる人はいるのだろうか。コメント欄も付けていないから反応が無いんだけど。まぁ、ここはぼくの独り言。読み手は最低一人、ぼく自身であれば良いってくらいのものだ。その方が変に良いことを書こうとしなくて丁度いい。

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