今日のエッセイ-たろう

靴を履いたら、どこまで歩いて行こう。 2023年4月4日

春になって、花粉が元気に飛び回っているせいか、周囲ではマスクを手放せない人をたくさん見かける。どういうわけか、ここ数年は春の花粉にはあまり反応しなくなっていて、最近は開放的な生活を送ることが出来るようになった。やっぱりマスクをしない生活のほうが自然なんだって感じている。

政府がマスクについて開放的な方針を打ち出したせいなのかはわからないけれど、春になってから少しずつ海外からのお客様もチラホラとみえるようになった。お部屋に上がると、久しく使っていなかった英語が喉の奥につっかえたままうまく出てこないでいる。まぁ、元々大した英語力ではないのだが。

近年、日本文化の認知が広まったのか、それとも当店にお越しなる方々が詳しいだけなのかはわからないのだけれど、部屋に上がる際に靴を脱ぐことに抵抗のない方が増えたように感じる。日本人は、それを当たり前だと思って暮らしてきたから感じることはないけれど、室内に入るたびに靴を脱がなければならないというのは億劫なことなのだ。日本で生まれ育った人であっても、長く海外で生活をしているうちに煩わしく感じることもあるらしい。

そう言えば、日本人のお客様のほとんどは靴紐を解かない。脱ぐ時に解かないから、履くときも結ぶ必要がない。なんとも合理的なようでいて、靴の文化としては少しばかり首をひねりたくなることもある。

日本伝統の代表的な履物といえば何を思い浮かべるだろう。草履、下駄、わらじが代表的なところだろうか。草履や下駄は、さっと履いてすぐに脱げるというのが特徴的だ。室内に入る時にさっと脱げるし、出かけるときも素早く履物を履くことが出来るのだから、なんとも便利な道具だ。

それに対して、わらじは面倒である。旅人などが履いている姿を映画やドラマでみたことがあるかもしれない。足の裏に当たる部分は、構造的に草履とそう大きな違いはなさそうにみえる。しかし、かかとや足首にまで紐縄を巻き付けてしっかりと固定するという部分で大きく違っている。旅などで長時間歩くことになる場合には、やはり簡単に脱げてしまわないような構造が好ましいのだろう。

そう考えてみると、西洋文化で発展した靴はわらじと通じる部分があるのかもしれない。環境や生活習慣の話ではなくて、装着時間の長さが、である。靴は頻繁に脱ぎ履きするものではない。朝靴を履いたら、特別なことがない限り脱ぐのは夜。そんな生活だ。

長い時間履いているものだから、しっかりと足に固定したい。やってみるとわかるのだけれど、しっかりと丁寧に靴紐を締めたほうが、ずっと歩きやすい。サッカーや野球やバスケットボールなど、スポーツシューズを履いたことがある人なら感覚がわかるだろう。

普段からそのような習慣だから、たとえ日本式に倣って頻繁に脱ぎ履きすることになっても、ちゃんと靴紐を締めたい。その感覚に慣れているからだ。しっかり締めているものだから、当然靴紐を緩めなければ脱ぐことが出来ない。当たり前だけれど、簡単に脱げてしまわないように存在しているのが靴紐なのだ。

西洋式の靴にも簡単に脱ぎ履き出来るものが存在する。スリッポンだ。日本人に馴染み深いのはローファーという呼び方だろうか。厳密には違うものだけど、この際一緒くたに考えても大差はない。ローファーというのは、その名の通り怠け者という意味である。アメリカで発展した靴である。見た目を気にするイタリアやフランス、質実剛健のイギリスでは生まれないスタイルだったのかもしれない。原型は、もしかしたらヨーロッパの室内用の靴だったかもしれない。まさか、そんなものを本皮で作って外を歩き回ることに使うことになるなんて、と驚いていたかもしれない。

あくまでも想像の話だが、このローファーがアメリカで広まったのは車社会であったことも影響しているのかもしれない。もしくは、オフィスビルから遠くへ出かける必要のない人たちに広まったのだろうか。なんにせよ、長時間歩く必要のない状況が生み出したのだろう。ポストマンや工場労働者の靴を原型として発展したアメリカの靴ブランドは、堅牢でしっかりとした紐靴だし、状況によってはブーツが主流となっている。

移動距離と装着時間が、履物の形状を決めることになる。というのは、ぼくが勝手に想像している話だから、本当にそのように解釈されるべきなのかは知らない。けれども、これはこれで面白いではないか。

さて、もしそれが正しいとしたら、ひとつ面白いことに気がつく。日本社会は長らくスモールコミュニティーだったのだ。なにしろ、がっちり足と固定しなければならないような履物を日常で必要としていない。であれば、サンダルのような形状で十分と思える距離の移動しかしていないのかもしれない。

半径数里ほどの小さなコミュニティ。好むと好まざると、その地域で暮らしていくしか無い社会。何度となく、そうした状況を想像して入るのだけれど、履物からも紐づけて考えることが出来て、なかなか味わい深い。

今日も読んでくれてありがとうございます。ちゃんと調べたわけじゃないから、これを読んでも鵜呑みにしないでね。だって靴文化が発達したからって、必ずしも遠くまで歩いていたわけじゃないだろうから。ただ、長時間履いているというだけだろうし。まぁ、ヨーロッパの歴史を見ると、基本土間だもんね。その方が都合が良い環境だったってことなんだろうな。

歴史ってさ、案外細かいディテールを想像できるようになると、もっと面白いと思うんだ。

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武藤 太郎

1988年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

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