今日のエッセイ-たろう

食事マナーは身だしなみ。 2023年11月22日

人は必ず服を着る。ファッションに興味がある人も、そうでない人も。人類のほとんどが服を着るようになったのはいつ頃なのかと考えると、はるか彼方の歴史の地平線の向こう側を覗こうとする気分になる。

身だしなみという言葉がある。これは、オシャレとは別の意味で使われているのだろう。美意識の最低ライン、共有できる美意識の中で、最も根幹的で少ない要素、といった感じだろうか。現代社会なら、清潔感やTPOが該当するのだろうか。

服を選ぶ時、誰の視点で選ぶのかというのがポイントになりそうだ。

他人のために服を着る。例えば伝統的な儀礼では、カジュアルな服装は似つかわしくないと言われる。これも考えてみたら不思議な話なのだけれど、いろんな文化で似たような傾向があるらしい。葬儀ではシックな色になるし、祝ごとでは華やかになる。裾などが乱れない様式であることも。

ルーズさは、TPOに関係しているのだろうか。労働や運動では、その機能性を重視するためにルーズさが取り入れられる。儀礼などでは、その反対の現象が起きる。とか。

自分のために服を選ぶ。他人の目を気にせず、自分自身が喜ぶ服を着る。という文脈で語られる事が多いような気がする。これもわかる。気持ちが上がるという表現をされるのと同じことだろう。自分らしさを表現するということもあるか。

服で自分らしさを表現するってどういうことなんだろう。そもそも、ゼロから自分らしさを構築するのって、かなり難しいんじゃないだろうか。生きてきた環境の中で身につけたこと、教えてもらったこと、環境に反発して形成されたこと。ある種の「既存の枠組み」があって、そこから構築するしか無いんじゃないかとすら思うのだ。もしそうだとすると、自分らしさとは、何を選択して組み合わせるかということになるのかもしれない。

自分視点か他人視点のどちらか一方ということではなくて、両方を同時に考える。その按配が、人それぞれだし時と場合によって変動するっていうことなのだろう。好きな服を好きなように着る。と、同時に周囲の人達が不快にならないようにも配慮する。自分のスタイルを持っているという人は、自分なりのバランスの取り方を持っているということなのかもしれない。

他人視点が全くない状況というのは、あるのだろうか。一日中誰にも会わないのであれば、他人視点を取り入れる必要はないか。ちょっと近所に買い物に行く。車に乗る、電車に乗る。など、ちょっとでも社会と接点を持つ時は、他人視点はゼロではないだろう。さすがにパジャマで電車に乗ることはなさそうだ。

こういうギリギリのラインを見定めるのは、なかなか面倒くさい。TPOに合わせていちいち考えなくちゃいけないのだから、人間社会というのはやっかいなものだ。やっかいなのだけれど、それが文化を育てているのも事実。

ということで、ラインの目安があると便利だな、ということになるのだろう。社会通念で言われる身だしなみや、マナーや作法と称されるものは、他人視点を取り入れる簡単な方法だ。なにも考えなくても、それを守りさえすれば誰かを不快にさせることがない。言い換えると、不快だと思わないことにしようねという決め事ということだ。

社会全体で通用してきている決め事。知らないのならしょうがない、という部類のものではない。とされている。情状酌量はされるかもしれないが、誰かを不快にさせていることは揺るがない。自分視点でどう感じるかは、この場合には無視される。そういうものだろうし、それで良いと思っている。イチイチ全ての事を検討して判断するのは、負荷が高いのだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。食事の作法をうるさく言う人もいるけれど、とりあえずは最低限のラインをちゃんとしたら良いと思う。くちゃくちゃしないとか、テーブルに肘をつかないとか、足を組まないとか、散らかさないとか。いわゆるギリギリの最低ライン。と思うのは、稀にそういう集団に出会うからなんだけどね。

タグ

考察 (304) 思考 (227) 食文化 (222) 学び (169) 歴史 (123) コミュニケーション (120) 教養 (105) 豊かさ (97) たべものRadio (53) 食事 (39) 観光 (30) 料理 (24) 経済 (24) フードテック (20) 人にとって必要なもの (17) 社会 (17) 経営 (17) 文化 (16) 環境 (16) 遊び (15) 伝統 (15) 食産業 (13) まちづくり (13) 思想 (12) 日本文化 (12) コミュニティ (11) ビジネス (10) 美意識 (10) たべものラジオ (10) デザイン (10) エコシステム (9) 言葉 (9) 循環 (8) 組織 (8) 価値観 (8) ガストロノミー (8) 日本料理 (8) 視点 (8) マーケティング (8) 仕組み (8) 仕事 (7) 営業 (7) 日本らしさ (7) 妄想 (7) 構造 (7) 社会課題 (7) 社会構造 (7) 飲食店 (7) 観察 (6) 認識 (6) 持続可能性 (6) 教育 (6) 組織論 (6) イベント (6) 食の未来 (6) 体験 (5) 挑戦 (5) 伝える (5) 食料問題 (5) 落語 (5) 未来 (5) イメージ (5) スピーチ (5) レシピ (5) 成長 (5) 働き方 (5) 多様性 (5) 構造理解 (5) 解釈 (5) 掛川 (5) 食糧問題 (4) 盛り付け (4) 文化財 (4) 味覚 (4) 言語 (4) エンターテイメント (4) 学習 (4) 食のパーソナライゼーション (4) ポッドキャスト (4) バランス (4) 自由 (4) サービス (4) 食料 (4) 表現 (4) イノベーション (4) 語り部 (4) 土壌 (4) 世界観 (4) フードビジネス (4) AI (4) 変化 (4) 誤読 (4) 食品産業 (4) 伝承と変遷 (4) 食の価値 (4) 技術 (4) 情緒 (4) 民俗学 (3) 会話 (3) 魔改造 (3) セールス (3) 話し方 (3) プレゼンテーション (3) 効率化 (3) 情報 (3) 自然 (3) 感情 (3) 民主化 (3) 修行 (3) マナー (3) チーム (3) 温暖化 (3) 行政 (3) 和食 (3) 栄養 (3) チームワーク (3) 変化の時代 (3) 産業革命 (3) 作法 (3) メディア (3) 食品衛生 (3) 認知 (3) 健康 (3) 変遷 (3) 代替肉 (3) ルール (3) 外食産業 (3) ごみ問題 (3) テクノロジー (3) アート (3) 身体性 (3) (3) 人文知 (3) エンタメ (3) 慣習 (3) 料理人 (3) 研究 (3) (3) 味噌汁 (3) おいしさ (3) ハレとケ (3) 感覚 (3) パーソナライゼーション (3) トーク (3) 水資源 (2) 道具 (2) 生活 (2) 生活文化 (2) 家庭料理 (2) 生物 (2) 衣食住 (2) AI (2) 伝え方 (2) 科学 (2) メタ認知 (2) ロングテールニーズ (2) (2) 山林 (2) 腸内細菌 (2) 映える (2) 誕生前夜 (2) フレームワーク (2) (2) 婚礼 (2) 料亭 (2) SKS (2) 飲食業界 (2) 思い出 (2) 料理本 (2) 笑い (2) 芸術 (2) 明治維新 (2) 俯瞰 (2) 才能 (2) ビジョン (2) 物価 (2) フードロス (2) 事業 (2) 工夫 (2) ビジネスモデル (2) 創造性 (2) 心理 (2) 接待 (2) 人類学 (2) キュレーション (2) 外食 (2) 茶の湯 (2) 旅行 (2) 共感 (2) 読書 (2) 流通 (2) アイデンティティ (2) (2) 気候 (2) サスティナブル (2) 食料保存 (2) 電気 (2) 行動 (2) 常識 (2) サスティナビリティ (2) 合意形成 (2) 産業 (2) オフ会 (2) ビジネススキル (2) (2) 儀礼 (2) 農業 (2) 食材 (2) 習慣化 (2) 産業構造 (2) 文化伝承 (2) 食料流通 (2) 地域経済 (2) ガストロノミーツーリズム (2) 身体知 (2) 伝承 (2) 言語化 (2) 発想 (2) 夏休み (2) 五感 (2) 社会変化 (2) 思考実験 (2) 郷土 (2) ガラパゴス化 (2) SF (2) 報徳 (2) 地域 (2) 食品ロス (2) 哲学 (1) 補助金 (1) SDG's (1) 食のタブー (1) 江戸 (1) SDGs (1) 幸福感 (1) 行事食 (1) 季節感 (1) 日本酒 (1) 弁当 (1) パラダイムシフト (1)
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

-今日のエッセイ-たろう
-, , , ,