2種類の証明と料理の正解。 2023年10月7日

それが論理的に正しいことを証明せよ。なんて言うと、数学の証明の問題を思い出す。なんだか懐かしい。

「証明」には2つのタイプがあるような気がしている。数学という学問の中で語られるもの。それから、実生活に直接関わるようか実行的なもの。うまく言語化出来るかわからないけれど、挑戦してみよう。

数学的証明というか、まぁ「理論的に矛盾がないこと」の証明だ。ロジックをきっちり積み上げて考えていくと、どう計算しても必ずこうなる。というような話だ。じゃあ、それって現実のどんな現象に現れているのか、ってことで検証するのが実行的な証明。もう、証明というひとつの言葉で表現するのが面倒なくらいに違う感覚がある。いっそ単語を分けてほしいくらいだ。

例えば、アインシュタインが相対性理論を発表した段階では、それは論理的に矛盾のない証明という段階。そして、ずっとあとの時代になって実験してみたら確かだったという証明。似ているようで、全く違う。

およそ138億光年先の宇宙の光を観測して、そこから論理的に証拠を積み上げて数学的な計算を繰り返していく。そうすると、138億年間で宇宙がどんなふうに変化してきたのかが読み解けるわけだ。どんな角度から計算してもおよそ矛盾が見当たらない。だから、それが正しそうだということになる。で、計算の結果、こうなっているはずだという現象を現実世界で証拠として見つけ出す。こういうパターンはいくらでもありそうだ。

これを料理に当てはめてみる。論理的に矛盾がないという意味で、科学や実験で理論構築をする。料理の場合、実験もするのだけれど、経験というのも含まれるかな。ちょっと古代の元素の考え方に近いかもしれないけれど、甘さとかしょっぱさみたいな五味の組み合わせを考える。それぞれの相性もあるし、加熱の具合やテクスチャーの違いも付け加えて、細かく計算していく。という気分で、レシピを妄想していく。

ちょっと化学をかじったことのある人だったら、タンパク質を加熱する時にはメイラード反応だとか、親水基とアルカリ性の関係から凝集のことなんかを考えるかもしれない。煮物を作っているときは化学反応、発酵をさせているときは菌の働きなんてことにも意識が向いているのかもしれない。

これらのことを色々と組み合わせながら、会席料理の献立を考える。今度は一品の味ではなくて、いくつもの料理の組み合わせ。

数学のようにピッタリとはまる論理構築なんてのは出来ないけれど、概ね良さそうだという解を得られたら、それが採用されて調理されていく。料亭の親方とかレストランのトップシェフは、とても大変な作業をしているのだ。感性は特別に重要ではあるのだけれど、同時に論理的な構築能力も伴う必要があるのが、そのポジションだといえる。

さて、今度は実行的な証明だ。どうやって実証するのか。それは、味わうこと。お客様以外にないのだ。お客様が食べてみて、構想したとおりになっているかどうか。ということになる。

論理構築も実行証明も、かなりファジーである。もしかしたらある程度はAIで予測可能なのかもしれないけれど、なかなか難しいだろう。なにしろ、人間というやつはすぐに心変わりをするのだ。一貫性は評価されないような社会になっているけれど、そもそも完全に一貫した人生を送っている人の方が少ない。むしろ、ちょっと不気味なくらいだ。そんなだから、証明が極めて難しいのである。

では、どうすれば精度を上げていくことが出来るだろうか。そこで登場するのが、世界の見方を変えるのである。

ちょっと極端な例を挙げると、論理を考える時に3次元ではなく9次元で計算するという話を聞いたことがある。これも宇宙の話なのだけれど、原始宇宙の姿を論理的に計算しようとすると、どうしてもそうなるらしい。重力の計算と量子力学の統合というのをやるらしいのだけれど、普通に計算していくとどうにもならないという。

次元を増やすというのは、どういうことだろう。例えば、紙にプリントされた図形があったとする。それは、厳密ではないけれど私達は2次元だと解釈する。でも、ものすごく小さな生き物がその図形を見たときには、巨大な建造物ほどの立体、つまり3次元に見えるだろう。

3次元で指定された場所で会う約束をしても、出会えないこともあるよね。時間が違うと出会えない。本の登場人物は、いついかなる時間であっても本を開けば出会うことが出来るけれど、ぼくたちはそんなことは出来ないのだ。

つまり、マクロな視点だけで物事を見ている限り、3次元とか4次元が限界になるって話。逆に言えば、とことん小さく細かくなっていければ、見えなかった次元が見えてくるというのが理屈である。量子力学の「確率的に存在する」っていうのは、まだうまく理解できていないのだけれど、この方向で考えていくと、矛盾のない整合性が取れるんだそうだ。

料理の話だと、もっともっと細かく要素を追加して、深掘っていく。前回来店された時は、この料理が好きだったなと思っていても、今回がそうだとは限らない。一緒に来る人が同じじゃないかもしれないし、同じだとしても関係性が変化しているかもしれない。時間が立っていれば、味覚が変わることもあるだろうし、季節だって違う。来店される前に運動していたらと思うと、それだけでも味覚は変化してしまう。

食材だって、同じ人参でもそれぞれに味が異なる。鮮度も違う。どの料理に向いているのかを考えると気が遠くなるほどのバリエーションがある。その気が遠くなるほどのバリエーションの中から、最適解を導き出していくのだ。こんなことを完璧に実行できる人間なんて、もうほとんどいない。

だけど、近いことをやってのけている人もいたんだよね。昭和のお母さんたち。対象は、家族だけっていうことで限定的なんだけど、食事以外の様々なことをつぶさに観察しているからこそ、精度が高い。おふくろの味っていうのは、慣れ親しんだっていう意味で使われていて、それは概ね正しいと思う。それだけじゃないんじゃないかな。家族によりそった形で食事を提供してくれていたことが、それを成立させていたという側面もあると思うんだ。

「料理が苦手」「レシピを精密にしてほしい」という声に、科学を交えて答えるとこんな感じになりそうだな。どこかで、使えるだろうか。それこそ、もうちょっと精度を高めて、わかりやすさを出していかないといけないだろうけどね。

今日も読んでくれてありがとうございます。まだ、概念も、その言語化もこなれていない感じがすごかったよね。初期の宇宙みたいにドロドロしたスープみたい。こういうのは、何度か繰り返し言語化に挑戦するしかないんだよね。また、なにか思いついたら挑戦してみよう。

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