今日のエッセイ-たろう

夏草を眺めながらの思索。 2024年6月10日

暑くなってくると、草木がとっても元気になる。山の緑は一層濃くなり、公園にも緑の草原が広がっている。庭も油断するとあっという間に雑木林の如きであるし、道の歩道も駐車場も際の方から緑が押し寄せてきてしまう。人間の領域が狭められているようも感じる。ある程度のところで、やれやれと草刈りを始めるのが恒例行事だ。

なんでこんなところに草が生えるんだろうな。とひとりごちても、意味なんかあるわけがない。いつだったか「自然に意味なんかあるわけがない」と、本で読んだことがある。目的ならば「生存と繁殖」なのだろうし、「遺伝子の保存」なのだろうけれど、そこに存在する意味は特に無い。

公園ならば、安全に子どもたちが遊ぶためという意味がある。都市の緑地化なら、自然に似た環境を都会に取り入れようという意味がある。人が作り出すもののほとんどは、なにかしらの意味があることがほとんど。いや、意味がないモノは作り出す価値が無い、というくらいの脅迫じみた観念も感じることがある。

面白そうなので、「人間は意味のあるものしか作らない」「自然には意味がない」と定義して世の中を眺めてみる。そんな実験。

都会って、人工物がほとんどだ。都会というと東京のような大都会を想像してしまうけれど、地方の人口数万人の街だって十分都会だし、商店街のようなところだって似たようなもの。歩道は人と車の行き来を分離して安全に移動するという意味がある。街路樹も分離の目印だったり、自然を体感するためという意味がある。ビルも扉も信号機も電車も、いろんなものが何かしらの意味を持っている。

そうじゃないのは、勝手に生えてきた草や、そこにやってくる虫。虫や人間の食べ残しを狙って集まってくる鳥たち。といったところか。草や虫って、排除される対象だよね。鳥だって糞や騒音が問題になることがある。害があるからだとも言えるけれど、今回の定義に沿って考えれば「意味のないものの排除」とも言えてしまう。

意味を持った人工物。と考えると、水田も林も人工物になる。コメを作るという意味を持っていて、木材を得るという意味を持っている存在。ぼくらが田舎へ行ったときに「自然が豊かでいいなぁ」と思って眺めている景色は、実は人工物なのだ。違うのは、意味を持たない自然との共存が当たり前の世界だということ。

自然の一部としての鳥や獣たちが存在するなら、ぼくら人間も自然ということになる。となると、人間は意味を持たない。合理的に頭で考えて作り出された存在じゃないってことになるよね。人工物の中から意味のないものを排除しようとすると、最終的に人間を排除するっていうディストピアになっちゃうな。なんだか、マトリクスの世界観みたいだ。

結局のところ、今あちこちで言われているように自然との共存が良いのだろう。ただ、頭で一生懸命考えた「意味を持った」共存関係じゃなくて良いとは思う。もっともっと感覚的で、よくわからないけれど「嬉しい」とか「いいなぁ」とか「好き」っていう感情。鳥が好きだから一緒にいたい。土いじりが楽しい。そこに虫がいるのもいいよね。って思えると、気が楽になるんじゃないかな。

我が家にもクモだとかムカデだとか、あんまり歓迎できない動物がやってくる。最初の頃は騒いでいた妻も、今ではそっと屋外に退去していただくという対応になった。排除するにしてもキリないので、迷い込んだ隣人という扱いかな。

今日も読んでいただきありがとうございます。こんなことを書きながらも、駐車場をキレイに緑で縁取りしている草を眺めて、ちょっとばかりため息をついています。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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