食文化の庶民化の起点はどこだろう。元禄あたりかな。 2023年8月27日

そばとインフルエンサーの関係について考えていたら、江戸時代のメディアや文化の動向が気になってきた。長きに渡って、日本の日本らしい文化の根底を成してきたのは禅でもワビサビでも茶の湯でもない。和歌に代表される奈良平安文化だろう。

万葉集という和歌のデータベースを、これぞ日本だという形にまとめたのが古今和歌集。国内向けでもあったし、国際向けでもあった。まぁ、当時は中華向けなのだが。この構図は、明治以降に政府が日本らしさを再定義したり、海外向けに日本人とは何かを説明した書物が出版されたことと似ている。

江戸時代に入っておよそ1世紀。それまでの定番を崩し始めた文化が登場する。それが元禄文化である。万葉集以来の文化やその定番を破壊するのではなくて、崩しながら再解釈を加えてアップデートする。進歩というのは、ちゃんと文脈を踏襲しながら変化していくことと同義なのかもしれない。

人形浄瑠璃の脚本家として名高い近松門左衛門は、それまでのものを古浄瑠璃にしてしまった。教科書にも記載されている曽根崎心中は、革命的だったと言える。曾根崎心中は、愛し合う男女が命をたってしまう悲しい物語、つまり悲劇である。悲劇を描いたものはそれ以前にもたくさん存在していたが、その主人公は必ず身分の高い人だったのだ。身をやつすという表現があるけれど、やんごとなき人物だからこそ、落ちぶれたり恋愛が成就できなかったりといった悲哀が浮き立ってくる。だから、文学において庶民には悲劇の主人公になる資格がなかったと言える。それをひっくり返したのが曾根崎心中。

遠くに見ていた芸の世界を、ぐっと観客のそばにまで引き寄せたのは近松門左衛門だけではなかった。好色一代男で知られる井原西鶴も同様だろう。主人公の世之介が7歳から60歳までの間に、「戯れし女3742人、少年は725人」という色狂いの物語。最初から最後まで、源氏物語をベースに庶民化させたパロディだ。この作品を皮切りに、その時代を切り取った小説「浮世草子」というジャンルが確立したのだ。

同時代の松尾芭蕉の俳諧で最も有名なのは「古池や蛙飛びこむ水の音」だろう。わずか17音節のなかに閉じ込められた奥行きは、その解説だけの書籍が何冊も存在するほどだ。小宇宙。そう表現する人もいる。

この句を特徴づけているモノのひとつには、蛙の存在がある。蛙というのは鳴くモノであって、飛び込むモノではなかった。というのが、それまでの文学世界だ。和歌の世界に登場する蛙は、鳴くモノとして描かれ続けて800年。それを「飛び込む」という動きに注目し、それによって発生する音を響かせた。これだけでも定番からの脱却と言えるのだが、もう一つある。それは、「古池や」だ。

古来、和歌で詠まれる「蛙」には定番のパートナーがいる。「山吹」である。定番がいるということには良いことがあって、それは同じ組み合わせの過去の詩に詠まれた意味をもたせることが出来るのだ。短い詩に多くの意味や風景を閉じ込めるには、連想される他のものを内包させる。そういうことは人類がずっとやってきたことだ。

芭蕉がこの句を詠むとき、先に後半が出来たらしい。そこで最初の5文字に弟子が提案したのも「山吹や」だった。しかし、芭蕉はあえて定番をはずした。そしてひねり出したのが「古池や」であり、定番から外したそれは、もはや他の何者にも代えがたいほどにしっかりとはめこまれたピースとなってしまった。

元禄時代あたりで、こうした動きが文化人の間にあったことが、その先の庶民文化にどんな影響を与えたのだろうか。私達のような庶民の食べ物や料理も、そうした庶民文化の中にあるものだから、当然影響があるはずだ。

そう考えたとき、元禄文化を牽引した彼らの動きに目が行ったのだ。観客の近くに引き寄せ、庶民をその主役に据え、これまでの定番から外していく。しかし、全時代までの完成された美をオマージュしていて、そのために必要な教養を得ている。抽象化するとこんな感じだろうか。

今日も読んでくれてありがとうございます。新シリーズの原稿を書いているのに、どうもそばシリーズのことが気になる。なんとなくやり残した感覚があるのかもしれないなあ。ま、そのうち別のシリーズで同じ時代をなぞることになるだろうから、そのときにでも話をすることにすればいいか。

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