今日のエッセイ-たろう

ときどきは、ビタッと止まってみる。 2025年6月6日

最近、大人がキッズサイズの洋服を着るのが流行っているらしい。大人と言っても、ぼくみたいなおっさんじゃなくて若い人の話。ずいぶん前にチビティーが流行ったことがあったけど、なんとなくそれを思い出した。そういえば、あの頃もブカブカの服が流行った後のことだった。今とは違うけど、スケーターブームみたいなのがあって、ラップが流行って、その流れでオーバーサイズだった気がする。手元にその頃買った革ジャンがあるんだけど、Sサイズなのにカバーオールみたいな大きさ。余裕でスーツの上から着られるもの。

タンスを整理していたら10年くらい前のユニクロのTシャツが出てきた。首元がVネックになっているのも懐かしい。そういえば、最近はVネックを見かけないな。10年前もクルーネックはあったけど、どちらもあって好みで選択していた気がする。ぼくなんかは首が長いのでクルーネックの方が良いと思うんだけど、そのときはVネックが良かったんだろうな。

で、久しぶりに来てみるとけっこうピッタリしているんだよね。この10年で体重が増加したこともあるけれど、それにしても小さい。サイズ表記は最近買ったものと同じSになっているのに、明らかに大きさが違う。オーバーサイズがトレンドになると、レギュラーのサイズ表記も変わるものなのか。知らなかった。

ぴったりサイズでも、当時と同じコーディネートをすればそれなりにおさまる。なのだけど、なんとなく違和感があるな。普段からピッタリ目のサイズを買うことが多いんだ。ピチピチなわけじゃないけど、なんというかジャストサイズが好き。だから、あんまりオーバーサイズのものは買おうと思っていないのだけど、気がついたらオーバーサイズのものも家にあるんだな。世間でもそれが一般的になっているせいか、ジャストサイズであってもピチピチに見える。そういえば、逆も然り。みんながピッタリした洋服を着ている頃に、大きめサイズだと思って購入したサイズは、今ならジャストサイズ。人間の感覚っておもしろい。

自分自身がチョコチョコ動いていると、案外周りが変化していることに気が付きにくい。動いていないつもりでも、自分の意識も影響を受けていて、基準値が変わっていくことなんていくらでもあるよね。ファッションだけのことじゃないと思う。

人混みを歩いていてもぶつからないのは、それなりに流れに乗って自分も歩いているから。さほどあくせく動いていなくても、意識しなくてもなんとなくあわせて流れていくことが出来るんだ。でも、ビタっと足を地面に固定して止まってみると、急に周りがせわしなく見えてくる。東京駅の中でも渋谷の交差点でも良いんだけど、試しにビタッと止まってみようかと想像してみるけど、ちょっと怖くてできない。ビタッと止まるのって、けっこう難しいことなのだろう。

自然の変化に気がつく。それは、日の出日の入りの時間が変わっていったり、ちょっとずつ景色が変わっていったりすることに気がつくこと。暑くなったなぁなんていうのもそう。やっぱりこれもビタッと止まったほうが動きがよく分かると思うんだ。ぼくら動物は、どうしても自然の流れに乗って生きているわけだから、変化していることは感知していても、変化の大きさみたいなことには気が付きにくい。

時々、ゆっくりする時間を作って外の景色を眺めてみるのも良い。町中にある喫茶店から外を眺めるのが好きで、それが自然の風景であってもいいし、人の往来でも良い。その、なんとういうか、ビタッとしている感覚を楽しんでみる。

別に変化の大きさを感じる必要なんて無いし、どうってことないのかもしれない。だけど、なんとなくいい感じ。周りもよく見えるしね。

今日も読んでいただきありがとうございます。だからどうだという話じゃなくて、変化を感じるのが好きなんだよね。だから歴史を勉強するのが面白いと感じるのかも。あと、モノづくりもいいな。変化の前と後というよりも、間の過程を見るのが面白い。という、ただただ嗜好のはなし。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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