今日のエッセイ-たろう

生活に組み込まれたコミュニケーションの仕込み。2022年10月22日

少し前に、日本料理の様式はコミュニケーションを主軸に据えた形式として発展してきたということを書いたよね。あれから少し考えて、ちょっと思いついたことがあるんだ。

コミュニケーションって一言に言っても、いろんなカタチがある。ちゃんと全てを言語化することで、意図を正確に読み取る。なんだろうな。コンピュータープログラムのように、きちんと正確に言語で表すこと。そしてそれをきちんと正確に理解すること。こういうコミュニケーションがあるよね。これがひとつ。

他には、空気を読むというのもコミュニケーションの手段。どうも、日本的なこのスタイルは批判を浴びるようだけれど、これはこれで良いと思うんだ。対面だったら、ほんの僅かな表情の動きだったり、声のトーンだったりが違って聞こえることがある。そういう情報発信をしているのだ。だから、それを正確に受信する。とても曖昧なもののように聞こえるけれど、なんのことはない。これも前述の言語コミュニケーションと大差ないんだと思うんだ。

言語のように明確なルールを設定しているわけじゃないからわかりづらい。そんな意見もあるだろうね。だけどさ、言語だって明治以降の教育で「日本語という共通語」を設定したからルールが明確になっただけだよね。それ以前は、国ごとに言語が違っているわけだ。よくもまぁこれだけ違う発音で明治政府がコミュニケーションを取れたなあ、と思うくらいに違っていたらしいんだよね。文字表現の場合は、比較的古い時代にはルールが統一されていたようだけれど、口語表現はそうはいかない。今でもそうだけれど、方言がきつくてお互いに意図を掴みそこねるなんてことがあるわけだ。それを思えば「感じる」コミュニケーションだって似たようなものだろう。

ルールはないけれど、ディープラーニングみたいに集積された知性が存在している。それこそ言語化するのが難しいのだけれど、間違いなく多くの人間は体得している。国や文化によって差異はあるけれどね。それを体得しているから、ちゃんと表情や声を変えることが出来るし、それを読み取ることが出来る。これだって立派なコミュニケーションだと言える。むしろ、小さな子供はこっちのコミュニケーションの方が中心なんじゃないかな。経験が少ないから精度は落ちるだろうけど。

でね。これらのコミュニケーションのパターンには、情報のやり取りの濃度があると思ったんだ。言語であっても、感受的であっても、ね。

例えば、言葉が足りないとき、何を言いたいのかわからないことがあるよね。もう完全に情報不足。え?どういうこと?ってなる。だけど、そこに配偶者だったり、子供だったりがいると通訳してくれることがある。お父さんはこう言いたいんだよってね。例え話が拙いのだけれど、それでも伝わりそうだなと思っているから、直さないよ。だって、あちこちで見られるからなんとなく想像できるでしょう。

これは、言語化されていない情報を知っている人だから理解できるということだ。もしかしたら、一定のパターンがあって、家族などの親しい人だから反応できるということもあるかな。母親が赤ちゃんの言葉を聞き取れるのは、こういうことだろう。それから、話している人が持っている情報を共有しているかどうかってこともある。日本人同士だったら、説明しなくてもお互いに知っていることが前提となっている知識があるよね。昭和、平成、令和。こういう元号があるのは周知の事実だから説明なんてしない。当たり前だ。だけど、英語で会話しているときに、元号で区切った時代区分をベースにするなら、追加説明がひつよだよね。つまり、互いに知っている情報量がある程度同じでなければ伝わらないということもある。結局、ぼくが言っている濃度っていうのは、コミュニケーションの前に共有している情報量次第ってはなしだ。それが多ければ、その場で伝え合う情報量は少なくても通じるし、逆に共有情報が少なければコミュニケーションで必要な情報量は多くなる。

これを、食事というコミュニケーションを組み込んで考えてみる。家族でも友達でも地区の集まりでもなんでもいい。とにかく強制的にコミュニティの中にコミュニケーションの機会を組み込んでおく。仕事とかそういうのとは別に、日常会話を強制的に行わざるをえない仕組みにしておく。そうすると、接点が増えるよね。

つまり、共有情報量が増えるわけだ。もううわさ話とか身の上話でいいの。お互いの背景を共有しちゃうんだね。地元のお祭りなんかでは、準備で集まる度に飲み会やってたりするんだけど、そういう場になっているのかもしれない。

この「仕込み」をしておくと、実際に一緒に作業をするとか事業をするとなったときに、コミュニケーションの量をコントロール出来るんだろう。日本語コミュニケーションはハイコンテクストだ、って誰かが言っていたんだけどさ。いきなりハイコンテクストなわけじゃなくて、そのための「仕込み」が生活の中に「仕組み」として組み込まれている。そういう文化なんじゃないかと思ったのね。

単純に、単一文化だからっていうだけでハイコンテクストなわけじゃない。のかもしれない。

今日も読んでくれてありがとうございます。実に日本的なコミュニケーション力だ。現代において重要視される「コミュ力」は、欧米文化の文脈におけるコミュニケーションのスキルなんじゃないかな。実は、ぼくら日本人には日本人なりのコミュニケーションの知恵があって、それを見落としているのかもよ。日本の食に関する文化(ユネスコ無形文化遺産)ってスゴイな。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

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